ワールドカップオブゴルフ
「ワールドカップゴルフ」はゴルフを通じた世界各国の善隣友好を願った
カナダ人実業家ジョン・ジェイ・ホプキンスの提唱により
国際ゴルフ協会が1953年にカナダ・モントリオールの
「ビーコンスフィールド・カントリークラブ」で開催したのが始まりで
当初は「カナダ・カップ」(Canada Cup)と呼ばれていました。
1955年の第3回から開催地はカナダを離れ1956年の第4回には
林由郎と石井迪夫のコンビが日本代表として初参加し、団体で4位を獲得しています。
その活躍により翌1957年の日本招致が実現しています。
第5回は、霞ヶ関カンツリー倶楽部で開催されましたが、
日本で初めてのゴルフの国際イベントでした。
この大会で小野光一と中村寅吉プロのコンビが団体初優勝、
中村プロが個人優勝を飾り、日本の人々にゴルフを紹介する
大きなきっかけとなった大会でした。
今大会からは「ISPSハンダ」がタイトルスポンサーとなり
「ISPS HANDA World Cup of Golf」という名称となりました。
「ISPS」会長である半田晴久氏は、1988年に日本に初めて
ブラインドゴルフ(視覚障害者によるゴルフ)を紹介した
「日本のブラインドゴルフの父」として知られています。
ブラインドゴルフは、ベトナム戦争における米国傷痍軍人の
メンタル・リカバリーのために始まったもので、
現在では、英語圏を中心に世界的に活動が広がっています。
国際スポーツ振興協会「ISPS」のコンセプトは「スポーツには、
希望を生み出し、人々を動かして社会を変革する力があり、
人々を団結させ、世界中の地域社会に一体感をもたらし平和に役立つ」とし、
ジュニアをはじめ男女シニアの大会を数多く開催しています。
「ISPS」の活動は次世代のゴルファーだけではなく、さらに大きな広がりを見せそうです。
今大会は「ブラジル五輪」のフォーマットに準じており、
「東京五輪」での「日本チーム・金メダル」に向けた準備のスタートです
今までのワールドカップは他のカップ戦と同じフォーマットで
ジュニア時代から経験の多い欧米に対して
経験の少ない日本チームには不利でした
チームが一緒にラウンドしていたのですが
今回からは普段とトーナメントと同じ成績順です
最終日の谷原はA・スコットとのラウンドですが
ともに先週優勝を飾っての参戦です
地元開催で必ず伸ばしてくるA・スコットについていければ
さらに上位に順位を上げる可能性もありますね
石川はカナダのD・ハーンとのラウンドです
「チームジャパン」爆発して欲しいですね
母親がフィリピン人のJ・デイは、先日の台風で祖母を含む7名の親族を亡くしています
母国開催のワールドカップで個人、団体とも優勝を目指しますが
悲しみの中の参戦、健闘には頭が下がります