総理のゴルフ
「政治と金」の問題から参院選に惨敗した安部総理、民主党の広告塔になっていた「さくらパパ」こと横峯良郎参院議員の周辺が騒がしい。
週刊新潮によると、横峯氏には半同棲状態の"東京妻"がいたという。この女性は、六本木の元ホステスで現在は飲食店を経営する40代女性。
2人は昨年8月下旬に知り合い半月後には男女の仲になり良郎氏から「国会議員になったら俺の秘書になれよ」などと言われたという。
「台所の包丁を壁に突き立てられました」という凶暴な一面も暴露。さらに「賭けゴルフの常習者」であることも証言しています。
参院選に出馬を表明した段階から「たたけばホコリが出る」とうわさされたさくらパパ、スキャンダルは想定内であったはずです。
しかし賭けゴルフについての本人のコメントが「議員になってからはやっていない」とは如何なものか。
昭和12年の日中戦争から太平洋戦争へと突入していく軍服が物言う時代に、3度(34,38,39代)総理に就任した近衛文麿。
戦後に戦犯指名で自殺した悲劇の宰相ですがゴルフ好きでも有名です。8人のプライベートクラブとして発足した軽井沢GCの発起人の一人で昭和8年から19年までは会長の職にありました。
プライベートクラブとは発起人の寄付で営まれ、赤字が出れば8人で負担したそうです。昭和12年当時は関東26コース、近畿16コース、その他31コースで計73コースがありました。
このほか外地(朝鮮、台湾、満州)に20コースあり、我孫子GCのビジター料金は平日2円、土曜3円、日祝5円でキャディー料金は50~60銭だったそうです。
ゴルフが一番上手だった総理は民主党幹事長、鳩山由紀夫の祖父、鳩山一郎(52,53,54代)でしょう。昭和18年の東京GCハンディキャップ記録は8でした、同年東西アマ対抗では鍋島直泰、赤星四郎というビックネームと並び東チームの選手にもなっています。
安部総理の祖父である岸信介(56、57代)は昭和32年にアイゼンハワー大統領とゴルフ場のシャワールームで一本のビールを飲み分けるなど、ゴルフを有効カードに日米安保を話し合ったことは有名です。
その時大統領から贈られたクラブがゴルフミュージアムに展示されています。沖縄返還でノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作(61,62,63代)は実弟です。
佐藤内閣の昭和41年当時、ゴルフ場の会員権相場は我孫子GC(130万円)袖ヶ浦CC(65万円)、一番高いのが小金井CC(600万円)で名変料も45万円、ビジター料金は平日4500円、土曜日4500円となっていました。
小金井CCは田中角栄(64,65代)が総理になる前に入会を断られたことで有名になりました。
庶民宰相と呼ばれオイルショックや日中国交正常化などに強烈なリーダーシップを発揮し「日本列島改造論」の後押しからゴルフ場の乱立時代を生んだ総理です。
昭和46年に今までの常識をはるかに超えた飛距離を武器にジャンボ尾崎プロが現れると、同年代の団塊の世代がゴルフを始めだしました。当時の会員権相場は 千葉CC(870万円)横浜CC(1,000万円)西宮CC(1,500万円)と高額コースが増えてきました。プレー料金の一番高かったのが名門、廣野 CCで平日10,000円、土日祝12,000円でした。
「今太閤」といわれた田中総理、霞ヶ関CCと念願かなってメンバーになった小金井CC(ハンディ18)を回ることが多かったそうです。
目白の邸内にはグリーン、バンカー、ドライビングレンジまで作って練習するほどのゴルフ好きでした。小金井CCでは午前中に27ホール回ることも多く、カメラマンがついていけないほどプレーが早かったそうです。
小金井の相場は昭和58年には7,600万円、62年1月には2億5千万円になり5月には4億3千万円の最高値がつきました。現在の相場は1億円、年会費21万円、名変料1,260万円とタイでは考えもつかないほど高額です。
田中総理には国会が休みの時に、霞ヶ関CCで連続九日間ゴルフと一日3ラウンドゴルフの記録があります。一日3ラウンドの時は一番でスタートして日没寸前 までプレーしたのですがキャディさんがかわいそうになり、総理自ら「2ラウンドでやめよう。女は帰って台所の仕事がある。キャディさんがかわいそうだ」と 取り止めようとしたのですが「続けてください。私たちも記念になりますから」と、むしろキャディさんに懇願されて続行したそうです。
さすがに六十をすぎて九日間の連日ゴルフは、世界の歴代大統領や総理にはいないでしょう。
ゴルフを愛するゴルファーとしては、こんなゴルフ好きの変わった総理がいてもいいのではないかと思います。
田中総理の師匠で、小金井CCの理事でもあり当時参議院議員だった内田芳郎の忠告で、賭けゴルフは厳禁したそうです「総理がたとえ百円勝っても、噂は噂を よび一億円となる。それでは時の総理の恥」と言うと「うん、そうか。それならやらん。そのかわり、君の枕元に電話を置いてくれ」内田氏は角さんからの電話 で叩き起こされては目白に出かけたり、ゴルフの打ち合わせをしたりしたそうです。
生涯賭けゴルフをせず「命の洗濯」と言ってゴルフを愛した田中角栄総理大臣、同じ政治家になった「賭けゴルフの常習者」には耳の痛い話ですね。