Sammy's Golf Studio
LinkContact Us |  
HOME
SHOP
FITTING
GOLF GOODS
GOLF COURSE
BLOG
Sammy's Golf Studio - Kankokutei
最近の記事
■12月1日バンコクライフコラム
■11月1日バンコクライフコラム
■バンコクライフ掲載コラム 10月15日
■10月1日 バンコクライフコラム
■バンコクライフ9月15日コラム
■バンコクライフ9月1日号コラム
■ゴルフスタイル2月号
■日本シリーズ ゴルフスタイル新年号
■岩田に罰則 ゴルフスタイル12月号
■日本オープン ゴルフスタイル11月号

アーカイブ
■November 2017 (2)
■October 2017 (2)
■September 2017 (1)
■August 2017 (1)
■February 2016 (1)
■December 2015 (4)
■September 2015 (2)
■July 2015 (1)
■June 2015 (1)
■May 2015 (1)
■February 2015 (5)
■November 2014 (1)
■October 2014 (2)
■September 2014 (2)
■August 2014 (2)
■July 2014 (2)
■June 2014 (1)
■May 2014 (3)
■April 2014 (1)
■March 2014 (3)
■February 2014 (1)
■January 2014 (2)
■December 2013 (2)
■November 2013 (2)
■October 2013 (3)
■September 2013 (1)
■August 2013 (2)
■July 2013 (2)
■June 2013 (3)
■May 2013 (2)
■April 2013 (1)
■March 2013 (3)
■February 2013 (1)
■January 2013 (3)
■December 2012 (1)
■November 2012 (2)
■October 2012 (2)
■September 2012 (3)
■August 2012 (2)
■July 2012 (2)
■June 2012 (2)
■May 2012 (2)
■April 2012 (1)
■March 2012 (1)
■February 2012 (2)
■January 2012 (2)
■December 2011 (2)
■November 2011 (3)
■October 2011 (2)
■September 2011 (2)
■August 2011 (2)
■July 2011 (2)
■June 2011 (2)
■May 2011 (2)
■April 2011 (2)
■March 2011 (2)
■February 2011 (2)
■January 2011 (2)
■November 2010 (2)
■October 2010 (1)
■September 2010 (2)
■August 2010 (1)
■July 2010 (1)
■June 2010 (1)
■April 2010 (2)
■March 2010 (2)
■February 2010 (1)
■January 2010 (2)
■December 2009 (3)
■November 2009 (2)
■October 2009 (2)
■September 2009 (2)
■August 2009 (2)
■July 2009 (2)
■June 2009 (2)
■May 2009 (2)
■April 2009 (2)
■March 2009 (2)
■February 2009 (2)
■January 2009 (2)
■December 2008 (2)
■November 2008 (2)
■October 2008 (2)
■September 2008 (2)
■August 2008 (2)
■July 2008 (2)
■June 2008 (2)
■May 2008 (2)
■April 2008 (2)
■March 2008 (2)
■February 2008 (2)
■January 2008 (2)
■December 2007 (2)
■November 2007 (2)
■October 2007 (2)
■September 2007 (2)
■August 2007 (2)
■July 2007 (2)
■June 2007 (2)
■May 2007 (2)
■April 2007 (2)
■March 2007 (2)
■February 2007 (1)
■January 2007 (2)
■December 2006 (2)
■November 2006 (2)
■October 2006 (2)
■September 2006 (1)
■August 2006 (2)
■July 2006 (2)
■June 2006 (2)
■May 2006 (2)
■April 2006 (2)
■March 2006 (2)
■February 2006 (2)
■January 2006 (1)
■December 2005 (2)
■November 2005 (2)
■October 2005 (2)
■September 2005 (2)
■August 2005 (2)

image shop

SAMMY'S GOLF CO.,LTD.
Bangkok Studio
3FL, 593/13-14 Soi Sukhumvit 33/1, Sukhumvit Road., Klongtan-Nua, Wattana Bangkok 10110
MOBILE: 087-906-7272 (日本語)
FAX: 02-259-2662
URL: www.sammygolf.com
E-mail: sammy@sammygolf.com
Open: 12:00~20:00 (月曜定休)

打ちっぱなし(内輪話)

5月15日号掲載

東日本大震災の影響で開催地を東京からモスクワに移したフィギュアスケートの「世界選手権」で、安藤美姫選手が優勝しました。彼女を世界一に押し上げたのは「日本の、被災地のために滑る。一人でも多くの人に笑顔になってもらいたい」という強い想いでした。

 

被災者のことを思い「自分は普通の生活を続けていていいのか」と悩んでいたとき、背中を押してくれたのは、「笑顔がみたい」という被災者からのメッセージでした。仙台では改修工事を間に合わせたスタジアムで、プロ野球の楽天が田中将大投手の力投で地元での初戦を勝利で飾り、Jリーグの仙台は、これまで一度も勝ったことがない浦和に快勝とスポーツ選手たちの活躍が被災地に明るい話題を届けています。

 

楽天の嶋基宏選手会長は試合後、スタンドのファンに「何のために僕たちは戦うのか、はっきりしました。この1カ月半で分かったことがあります。それは、誰かのために戦う人間は強い、ということです」とその熱い想いを観客に伝え、大きな声援を受けていました。

 

スポーツの世界だけではなく「誰かのために戦う人間は強い」という言葉は、戦争を経験した昭和の日本人なら当たり前に理解しあえた言葉のように思います。被災地の傷跡はあまりに深く広範囲で、復旧、復興には相当の時間が必要です。避難所生活の不便さは大変なものでしょう。現実を深く受け止め「誰かのために戦う」ことは、自身にも、回りで支え応援する人々にも力を与えます。日本の復興を信じて「誰かのために戦う」人々の輪を広げ、必ず越えなくてはいけない国難に立ち向かっていきましょう。

 

3月21日の開幕するはずだった「東京・世界選手権」に照準を合わせていた、フィギアスケート日本選手団に影響があったのは間違いありませんが、試合前の会見で安藤美姫は「震災が起きたばかりのころは、スケートなんてやっていていいのかという気持ちがあった。でもそのうちに、これが自分にできることなのだからという気持ちに変わっていきました」と語っています。彼女が前回、世界チャンピオンになったのは、2007年東京世界選手権でのことで、2011年「モスクワ・世界選手権」で4年ぶりに二度目の「世界女王タイトル」を手に入れたことになります。

 

この大会で注目されていたのは、バンクーバー五輪の金メダリスト、キム・ヨナの出場でした。昨年度の世界選手権を最後に競技から休みをとっていた彼女にとって、1年ぶりの大会出場となりました。このコラムでスポーツは準備が重要と何度も書いてきましたが、小さな大会で足慣らしをすることもなく、いきなり世界選手権に挑戦というのは普通ならば考えられないことです。開幕直前の報道によると公式練習では絶好調な滑りを見せていたキム・ヨナでしたが、やはり彼女にも1年間のブランクの影響はありました。僅差でトップに立ったフリーの演技では2つジャンプミスがあり、安藤に逆転を許して総合2位に終わりました。

 

「五輪も世界選手権も優勝して、今では有名でお金持ちになったあなたが、どうして試合に戻ってきたいと思ったのですか?」会見でそう聞かれると、キム・ヨナは苦笑いをしながら「なぜこんなことをしなくてはならないの、と思ったことは何度もある。でもファンに私の新しいプログラムを見てもらいたいと思った。特にいつも応援してくれた韓国のファンに、私のフリーを見てもらいたかったんです」と答えていますが、2018年冬季五輪の開催都市を決める7月のIOC総会(南アフリカ・ダーバン)に平昌(ピョンチャン)招致団の一員として、プレゼンテーションをする予定になっており、総会に「世界選手権・金メダル」を持って行きたかったのではないかと思います。

 

「五輪の後はしばらく休みたかったので、GPシリーズや四大陸選手権には準備が間に合わなかった。でもミスをした原因は、ブランクのためだとは思いません。ちょっと緊張してしまったためのミスでした」と語りましたが、実はこの緊張こそが、準備不足がもたらしたものだと思います。

 

優勝した安藤は、シーズンを通して安定した演技を見せていました。「プレッシャーのあった五輪の年を終えて、今シーズンは本当にスケートを楽しむことができるようになった。この大会も、重く感じずにリラックスしてできた。ベストな滑りではなかったけれど、達成感があります」と答えました。4回転にこだわり、成績が残せなかった辛い時期を乗り越え、今回は3+3のコンビネーションにも挑むことなく、完成度の高さにこだわったことが情感たっぷりで余裕のある、素晴らしい演技につながったのでしょう。ひたすら4回転サルコウにこだわっていた「ジャンプの美姫」は、勝ち方を知っている自分のスタイルを持った選手に成長し、みごとに二度目のタイトルを手にしました。

 

キム・ヨナが平昌(ピョンチャン)招致団の一員として、7月のIOC総会に出席して誘致活動をするには訳があります。キム・ヨナが金メダルを獲ったバンクーバーと開催地を最後まで争ったのは平昌でした。2003年7月にチェコの首都プラハで行われた国際五輪委員会(IOC)総会で、平昌は1回目の投票で51票を獲得し、バンクーバー(40票)を11票も上回っていたのです。ところが、2回目の投票では53票にとどまり、バンクーバー(56票)に3票差で敗れたという「苦い経験」があります。

当時の冬季五輪誘致のスポンサーの一人、李健熙(イ・ゴンヒ)サムスングループ会長が、「夏季スポーツの基本が陸上ならば、冬季スポーツの基本はスケートだ。韓国が冬季オリンピックを誘致するためには、スケート種目を育成する必要がある。だが、決して性急に考えてはならない。支援が干渉になってはならず、10年間は根気強く投資しなければならない」とサムスンスポーツ団のパク・ソンイン団長(後のバンクーバー冬季オリンピック韓国選手団長)に指示したのが1997年 でした。

サムスングループはこのときから毎年7億-8億ウォン(当時のレートで約7千万-8千万円)ずつ、選手の訓練費や道具などをサポートしたとされています。オリンピックなど大規模な国際大会が開かれる年には、支援金をさらに増やし、バンクーバーま出のサムソングループ支援金の累計は120億ウォン(当時のレートで約12億円)を超えています。

朴韓国選手団長はバンクーバーに出発する前「13年前、李健熙会長の指示で事実上、“バンクーバー・プロジェクト”が誕生したことになる」と語っています。「バンクーバー・プロジェクト」とは、スピードスケート、ショートトラック、フィギュアスケートで韓国人選手が金メダルを獲得するための計画で、サムスンの後援金を活用し、スピードスケートやフィギュアスケート選手の底辺を広げようと、有望株のための大会を新設、賞金と奨学金を設けたのですが、キム・ヨナはまさにこの大会で3連覇を果たし世界に旅立ったのです。

キム・ヨナ一家の家族構成は両親と姉一人で決して裕福な家庭ではありませんでした。キム・ヨナはソウルから1時間ほど南のベッドタウン、軍浦(グンポ)市で17歳までを過ごしています。自宅から近い果川(クヮチョン)市のスケートクラブでのリュ・ジョンヒョンコーチとの出会いがキム・ヨナの人生を変えます。キム・ヨナが姉のエラと参加していたのはエリート選手を目指すコースではなく、普通の習い事レベルのクラスでした。可能性を見抜いたリュコーチは「経済的な負担が大きければ、レッスン代はいりません。無料ででも教えたいのです」と申し出たそうですが、母は「それは結構です。少し大変ですが、こちらで負担します」と断ったそうです。しかし両親は姉のエラにはスケートをやめさせ、経済的なことを考え、キム・ヨナの別の習い事、ピアノ、そろばん、英語も辞めさせ、フィギアだけの生活を選ばせたのです。キム・ヨナの出現前までフィギュアの認知度がかなり低かった当時の韓国では、大変な決断だったのではないでしょうか。

 

リュコーチはキム・ヨナに対して「オリンピックで金メダルを獲れる100年に一度、出るか出ないかの選手だ、つねにプライドを持て。おまえは成功できる選手だ。スケートのこと以外考えるな」と年齢による体力差が出るトレーニングでも、年上の選手についていくよう、夢に向かって叱咤を繰り返したといいます。

 

キム・ヨナが厳しい練習を日課としていた時期に、李健熙サムソン会長の指示を受け、パク・ソンイン団長がサムソンスポーツ団から、大韓スケート競技連盟会長に籍を移したことも大きな力となりました。李健熙会長は冬季五輪が韓国で開催されることを願い「10年計画」を進めたのでしょう。13年経ったバンクーバー冬季五輪でキム・ヨナの金メダルと、スピードスケート500メートルで、男女ともに金メダルを獲得したことで「10年計画」は大輪の花を咲かせたことになります。しかし韓国国民念願の「冬季五輪誘致」のプレゼンテーションには、キム・ヨナ自身も「世界選手権・金メダルが何としても必要」と考えたのでは?そのための、一年ぶりで準備不足の「世界選手権」出場だったように思います。今回はゴルフネタではではありませんが、韓国に長く住んでいた、私なりの感想を述べさせていただきました。

2001マスターズ 5月1日2011年

「2001・マスターズ」最終日、最終18番グリーンを終えた石川遼は、充実の表情で満ちていました。3回目の挑戦で、初の予選突破を果たし、「ホッとしました」と安堵した笑顔の2日目。アグレッシブさに欠けたことを悔やんだ失意の表情の3日目とは違い、3年かけて準備してきた自分にできることを、それなりに成し遂げられた満足感だったのでしょう。「あのショットは会心でした」という2番パー5、残り235ヤードの2打目を、グリーン左の傾斜を利用してピン左60センチに寄せた2番アイアンのショットで「マスターズ」初イーグルを奪い、「最終日にしか味わえない最高の経験」という、パトロンたちの大歓声を浴びました。

 

17番では146ヤードを9番アイアンで、最終18番では151ヤードを8番アイアンで2メートルにピタリと乗せ「感触的にやりたいことができた、距離感、球筋と、全てのショットとパットがイメージ通り。最後の2ホールで理想の上がりができた」と、初めて立った夢舞台の最終日、オーガスタの最終グリーンで、自身最高のプレーで締めくくれたことは来年に繋がることでしょう。

 

来年度の出場権を得られる16位タイには惜しくも1ストローク届かなかったものの「1回目と2回目の出場より、はるかに前進した。こんなに良いプレーができるとは思っていなかったし、この最終日のプレーができれば今後の自分に楽しみ。また1年頑張って、ワールドランキングで出場権を手にできるように頑張りたい」と語りましたが、石川はいつでも「オーガスタで勝つためならどうする?」と自問自答しながら日本でも攻め方を考えラウンドを重ねていることでしょう。3日目の13番・15番でエッジからのイーグルチャンスに「どうすれば決められるかを考えていました」と答えていましたが、うまく寄せて2パットでバーディという選択はなかったようですが頼もしいですね。結局3パットと4パットで3日目はスコアを伸ばせずに、順位を落としてしまいましたが、来年のテーマは大きなうねりのあるグリーンの13番・15番を含めた「アーメンコーナー」攻略になりそうです。

 

過去2回のマスターズで鬼門となったのは16番パー3でした。2日目のピンポジションはいつもグリーン右手前の狭い段の上です。カップからはグリーン左の池に向かう強烈な下り傾斜で、ピンの5ヤード右には、入れると寄せることが不可能なバンカーがあります。2年連続でこのポジションにやられた感がある因縁のホールで、今年の石川はその5ヤード幅の中にピタリとボールを止めました。バーディは惜しくも入りませんでしたが、自分自身の成長を確信したことでしょう。

「アーメンコーナー」に課題をもらった石川の今シーズンは、エッジからの狙い方が注目です。日本ツアー開幕戦の「東建ホームメイトカップ」最終日は、逆転優勝には絶好のトップと1打差でのスタートでしたが、2番、4番でティショットを池ポチャ。3番ではパットのミスも出てしまい3連続ボギーと、さすがに目標にしていた「マスターズ」の疲れがでたのでしょう。しかし最終ホールはアーメンコーナーだったら?のイメージで攻め切って、見事なチップインバーディでした。ジャンプして何度も喜びを表現したド派手なパフォーマンスは、来年の「マスターズ・アーメンコーナーバージョン」なのではないでしょうか。「動く日の丸・石川遼」の頭の中は「来年のマスターズ」に向かってすでに動き出しています。

 

松山英樹の活躍は「マスターズ」の表彰式に、初めて日本人が立つという歴史的な瞬間をもたらしました。通算1アンダーの27位タイと、堂々たる成績でローアマチュアを獲得したのです。大勢のパトロンが囲むその中心には、優勝したチャール・シュワルツェル、前年度覇者のフィル・ミケルソン、そして松山英樹と3人のプレーヤーだけ。パトロンたちはスタンディングオベーションで万雷の拍手を送りましたが、被災地からの初参加でこの成績は、とても凄いことで、待望の石川に続く「スター候補生」の誕生です。震災の影響を鑑み、開幕直前まで出場に迷いがあったそうですが、ファックスやメールで多数送られてきた応援メッセージに後押しされ出場を決断したそうです。「こういう時期に、皆さんからの応援が無かったら出場できませんでした。感謝していますし、このようなプレーができて本当に良かったです」と、期間中も日本から持ってきたメッセージを読んでいたという松山は、感謝の言葉で初参加「マスターズ」を振り返りました。

 

この二人と最終日68でラウンドしたキム・キョンテ、アウトを終わって10アンダーと優勝争いの結果、8位に入ったK・J・チョイ、石川と同じ20位のY・E・ヤンの活躍で、アジア勢のレベルもある程度評価されそうです。優遇されている感のある、世界ランキングにおける日本ツアーのポイント改定の懸念も、大きなポイント減にはいたらなそうです。

負けてしまったローリー・マキロイですが、その後の行動が話題になりファンが急増しています。傷心のラウンド後も、嫌な顔一つせずギャラリーのサインに応え、テレビのインタビューでは「最終日で学んだことは?」の問いに「人格形成?だといいかな」と答えていました。自身のツィッターでは「まー、計画通りにはいかないもの!今日は厳しい一日だったけど、勝つ前に負けなきゃいけない。今日という日が俺を強くしてくれる。チャール・シュワルテル、おめでとう!!グレートプレーヤーでありそれ以上のナイスガイ!彼と彼の家族を祝福したい!」とつぶやいていますが、二人は仲良しで同じジェット機で次戦会場のマレーシアに向かいました。

 

この写真には「二人のどちらかがグリーンジャケットを着ていて良かった!」とつぶやいています。勝負事に負けたものは「潔い敗者であれ(Good Loser)」という格言がありますが、満面の笑みで友人を称えるR・マキロイは本当にグッドルーザーですね。「勝つ前に負けなければいけない」という言葉の意味は深く、R・マキロイもメジャーチャンプに名を連ねる日が必ず来るでしょう。

優勝したチャール・シュワルテルは1番でグリーン右から40ヤード近くを転がしチップインバーディのスタート。さらに4番ホールの2打目、114ヤードを右奥からスピンで戻し、カップインさせたイーグルは圧巻でした。そこでマキロイに並んだものの、その後パットを決めきれず、10連続パーとなかなか抜け出せずにいました「当たり前だけど、あんなシチュエーションでプレーしたことはなかった。でも驚くほど落ち着いていた」と冷静に振り返っていますが、15番からのチャンスをことごとくものにし、上がり4ホール連続バーディで一気にトップに浮上したのです2歳年上で「ベストフレンド」と呼ぶ同郷のルイス・ウーストハウゼンが、昨年のメジャー「全英オープン」を制したことも大きな刺激になったのでしょう。

 

C・シュワルテルは以前から私のブログで何度も取り上げたプレーヤーです。「今年から参戦する米PGAでも活躍間違いない」と予想しましたが、いきなり「マスターズ優勝」とは、さすがに驚きました。重心の低いスイングは美しく、下半身の安定感は群を抜いています。欧州ツアーを見て、ショットの精度の高さから活躍は間違いないと思っていました。C・シュワルテルの父ジョージもプロゴルファーでした。ジョージはプロ生活を断念した後、母リゼットの故郷デニーズビルの広大な土地で農業を営んでいます。そこにチャールと弟アティーのためのゴルフ練習場も作り、ジョージは息子たちに基本に忠実なスイングを教え込んだとされています。チャールが師事したコーチは父のみで、今でも変わっていません。アティーもサンシャインツアーに参戦中でモリナリ兄弟のような活躍も期待できそうです。

C・シュワルテルは今年も欧州ツアーに開幕戦から参戦し、5試合連続でトップ10入りしています。初戦の「アルフレッドダンヒル選手権」で2位に入り、第2戦の「南アフリカオープン選手権」では優勝したアーニー・エルス、2位レティーフ・グーセン、3位ルイ・ウーストハイゼンという同郷のメジャーチャンピオンに次ぐ4位に入っています。第3戦「アフリカオープン」では、プレーオフで優勝したL・ウーストハイゼンに一打及ばず4位。第4戦「ヨハネスブルグオープン」は2位に4打差をつけて2年連続優勝を果たしています。第5戦「アブダビHSBC選手権」で8位に入った後2週間のオフを取り「アクセンチュア・マッチプレー選手権」の一回戦で石川と対戦しています。石川が素晴らしいプレーをしても、さらにその上をいくプレーを、C・シュワルテルにされてしまいました。石川がバーディをとっても、C・シュワルテルはイーグルと、まさに”激闘”という感じで石川の敗戦でした。記憶力の良さも石川の原動力ですが、「マッチプレー選手権」で、今年のマスターズ優勝者と互角に戦ったという事実は、石川の自信になることでしょう。

 

1961年にゲーリー・プレーヤーがインターナショナルプレーヤーとして初めてグリーンジャケットを羽織ってから今年が記念すべき50周年。今年「ゴルフの神」は松山英樹と日本に微笑んでくれました。そして「勝利の女神」はゲーリー・プレーヤーの母国、南アフリカを選びました。松山の活躍で「勝利の女神」が日本に振り返ってくれることを願い「がんばれ日本」



<< 1 >> 1ページ中1ページ目


| Home | Shop | Fitting | Golf Goods | Golf Course | Link | Blog | Contact Us |
(C)Sammy's Golf Co.,Ltd. All right reserved.