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SAMMY'S GOLF CO.,LTD.
Bangkok Studio
3FL, 593/13-14 Soi Sukhumvit 33/1, Sukhumvit Road., Klongtan-Nua, Wattana Bangkok 10110
MOBILE: 087-906-7272 (日本語)
FAX: 02-259-2662
URL: www.sammygolf.com
E-mail: sammy@sammygolf.com
Open: 12:00~20:00 (月曜定休)

打ちっぱなし(内輪話)

6月15日号掲載

『タイトリスト』を販売するアクシネット社の親会社、フォーチュンブランズ社は、その経営合理化の一環として、ゴルフ部門の切り離しを昨年12月に発表していました。ボール・クラブ等でトップシェアを誇る、アクシネット社の買収劇は、思わぬ展開の末決着しました。ゴルフ用品販売(卸売りベース)の世界規模は70億ドルと見積もられている中、クラブ、ボールの『タイトリスト』とシューズ、グローブなどの『フットジョイ』を保有しており、『コブラ』をプーマに売却して以降も12億ドル程度の売上を維持しています。

 

アクシネット社の買収価格は15億ドル(約1,200億円)と見積もられていましたが、アクシネット社自身が独立して上場会社になるという選択肢を含めて様々なシナリオが噂されていました。フォーチュンブランズは酒類、住宅用品、ゴルフ用品の3業種を傘下に収めるホールディングカンパニーで、酒事業は全米一のシェアを持つ『ジンビーム』など複数ブランドを統括しています。住宅用品は『モーエン』を筆頭に複数ブランドを保有し、ゴルフ用品はアクシネット社が事業を展開していましたが、酒事業は維持、住宅用品事業は上場、ゴルフ事業は売却か上場という「グループ解体」を決定したのです。

 

その背景には、フォーチュンブランズ社の株式、約10%を保有する投資家グループから、事業再編を迫られたためとみられています。アクシネット社売却による同社の納税額は、相当額にのぼると予想されますが、フォーチュンブランズ社の株価改善を求める投資家グループが求める「株主利益」に押し切られる形で、フォーチュンブランズ社は苦渋の決断をしたようです。

 

買収先はどこになるのか? ナイキ、テイラーメイドをはじめ、SRIスポーツ、ブリヂストンスポーツ等の日本のメーカーの名前も噂されていました。しかしどこが買ったとしても、ボール等の販売シェアが買収により一定のパーセンテージを越える場合、自由競争の阻害という観点から独禁法で売買が禁止されることになります。特許の保有件数も独禁法で制約があるため、大手同士の決着は難しいとされていました。

様々な憶測の中、決まった売却先は、Fila Korea Ltd.(韓国フィラ社)とMirae Asset Private Equity(韓国投資資本)でした。買収価格は現金で12億2,500万ドル発表されています。納税、費用差引後のネット買収手取額は約11億ドルになるとフォーチュンブランズ社は見積もっています。米国証券取引筋(ウォールストリート筋)によれば、アメリカンブランズ社(現在のフォーチュンブランズ社)は「アクシネット社」を約5,500万ドルで買収したといわれています。単純計算でも22倍以上での売却となります。

 

フィラコリア(Fila Korea Limited)社は、1911年にイタリアで創設され100年の歴史を持つ、ウェアとシューズで有名な老舗ブランド「フィラ」の、世界的な全事業を2007年1月に取得していますが、その買収価格は400億ドルだったと言われています。2010年度、フィラコリアの売上高は5億7,000万ドルとされています。今回の買収でパートナーとなった投資会社Mirae Assetsは1997年に創業された企業で、その管理下には、投資企業、政府系開発銀行、年金機構なども抱えている韓国最大の資産管理会社です。フィラといえば、1970年代から80年代にジミー・コナーズやジョン・マッケンローらと男子テニスの黄金時代を築いたビヨン・ボルグの定番でした。全仏オープンに4連覇を含む6勝、ウィンブルドン選手権でも5連覇を達成し4大大会通算「11勝」は男子歴代4位タイの記録をフィラのロゴをつけて達成しています。「ホンダLPGAタイランド06」を制した韓煕円や、ツアー初優勝を今期初戦のメジャー「クラフトナビスコチャンピオンシップ」で飾ったステーシー・ルイスが「フィラ」のロゴと共に戦っています。Mirae Asset社のロゴをと共に戦う代表格は「女王」を争う申智愛です。

 

タイトリストのゴルフボールは、北米市場で約60%のシェアを持つなど、圧倒的な強さを誇っていますが、韓国では北米をはるかに凌ぎ「プロV1以外はボールではない」という品薄状態が続き、コピーの「プロV1」まで登場する始末です。しかしまさか韓国企業が買収するとは思いませんでした。

 

「ビジネスの魔術師」とも呼ばれるフィラコリアの尹潤洙(ユン・ユンス)会長は、韓国スポーツファッション業界では有名な人物です。会社員からスタートし「フィラ」の韓国支社長に就任したかと思いきや、フィラ本社を逆買収し、世界のスポーツファッション業界を驚かせました。ユニークなアイデアを考え出し、他人よりも先に挑戦する「スピード経営」で知られる尹会長は、アクシネットの売却を知った時点で即座に動き出したのです。独禁法のため、制約が発生するボール等の「ゴルフ商品」を持っていなかったことも「フィラ」にとってはプラスでした。

 

尹会長は「アクシネットのゴルフ用品業界首位の市場支配力、100年間培ってきたフィラのファッション分野でのノウハウを融合し、フィラがアジアマーケットで蓄積したノウハウと巨大なネットワークを通じ、「アクシネット」がアジアで、さらなる成長を得られるように努力したい」と買収後に話しています。

 

130年以上にわたるゴルフの歴史の中で、ゴルフが発祥した1870年から1910年に掛けては、英国、スコットランドで競技人口の増加とともに成長し、1960年から1980年にかけては米国でもプレー人口が増加、そして1980年から1990年の日本のバブル景気に伴うゴルフ人口とゴルフ施設の増加によるゴルフブームに続き、今なお続いているのは韓国でのゴルフブームです。1998年の全米女子オープンで「20歳9ヵ月」の史上最年少で優勝を果たした「朴セリ」の登場とともに始まった韓国のゴルフブームは、いまだにとどまることを知りません。

現在、韓国の総人口は4,900万人ですが、ゴルフ人口は既に300万人に達しており、ゴルフコースの数は400コースを越えました。全体の年間ラウンド数は2,500万ラウンドと発表されています。韓国の冬は寒く、プレーできない日も多い割に1コース当たりの年間平均ラウンド数は60,000ラウンドと、日本のゴルフ場関係者が聞いたら驚くような数字がゴルフブームの証です。また韓国にはゴルフレンジが1,200以上あり、「セミプロ」といわれるインストラクターの数も9.000人を越えています。また6,000台を超える、世界一のゴルフシミュレーター設置台数も日本では考えられないことです。

 

フィラコリアが直接経営しているフィラ米国法人は買収当時、年間6400万ドル(約52億円)の赤字を出すなど経営難に陥っていましたが、昨年から黒字に転換しています。フィラはブラジル、インドなど新興市場で毎年50-60%のペースで成長しており、中国では業界2位のスポーツ企業「安踏(アンタ)」と合弁で、すでに中国国内600カ所以上に出店しています。経済発展が著しいブラジル、インド、中国とロシアの頭文字を合わせた4カ国の総称はBRICs(ブリックス)ですが、ゴルフが盛んな南アフリカを含めたBRICSまでもマーケットとして捉え、「フィラ・アクシネット」販売計画を立てているように思います。

 

尹会長は「アクシネット社の買収は、当社の基盤を安定した世界的なブランドに転換してくれるだろう。当社はウォーリー・ユーライン氏に率いられた類い希なるアクシネット社の経営陣を抱えることに喜びを感じている。当社の広い知識とアジアでの地盤により、アクシネットブランドは、アジアに於ける成長市場での成長に新しい機会を得たことになる」と話しています。米国ゴルフ専門メディアは、アクシネットの経営体制が一切変更されず、CEOもユーライン氏が引き続き務め、本社も従来通りマサチューセツ州フェアヘブンに置かれることから、メディアのほとんどはこの結果に好意的な論評が多く、むしろアクシネット社の体制は、これから伸長し、アジア地域市場を中心に強化されるだろうとの見方がほとんどです。韓国市場、そして中国や他のゴルフ新興国市場開拓に頼もしい後ろ盾を得たことになり、商品ラインアップ面でも将来的には強化されるだろうと期待されています。

 

今回の買収劇でフィラのウェアを着て、タイトリストのクラブとボールで戦う韓国人、中国人プロゴルファーが激増することは間違いありません。今こそ日本のメーカーは正しいクラブ販売を始めるべきです。メーカーはクラブスペックの公開に積極的ではありません。クラブに張ってあるシールには長さ・ロフト・メーカーによって基準が違うシャフト硬度が表記されている程度で、その数値も測定すると嘘ばかりです。「去年のモデルより飛距離が10ヤード~20ヤード伸びます」と毎年新製品を売り出していまが、そのほとんどは、心底飛距離を欲している非力な人や年配者にはあまり役立っていないのが現状です。飛距離性能を掲げ、毎年シャフトを長く伸ばし、それが行き渡ってもう売れる余地がなくなったと見るや、今度はシャフトを短くし、こっちの方が実は飛びますと「詐欺まがい」の販売を続けてきました。90%以上のゴルファーが「とんでもない向き」を向いたクラブを使って「真っ直ぐ飛ばそう」と努力しています。フックフェースのクラブを使っているゴルファーに「正しいスイング」を教えたらフックしか出なくなりますし、左を向いたクラブで真っ直ぐ飛ばすには、フェースを開きながら打つことになり、インパクトロフトが増えて飛距離はでません。買ったクラブをそのまま使うのではなく、自分に合わせて、コースで使いやすくする程度のクラブに対するこだわりを持って欲しいと思います。こだわりを持つことでゴルフクラブへの知識も広がり、さらにコースで通用するスイングを覚えればゴルフがより楽しいものになりますよ。

カリスマセベ

「スペインの巨星」セベ・バレステロスが、病魔との闘いではミラクルを起こすことが出来ず、201157日がん性脳腫瘍の合併症のため亡くなりました。54歳とあまりにも早すぎる死に、世界中のゴルファーが衝撃を受けました。

80
年代「最強」と言われたセベは、マスターズ2回(8083年)、全英オープン3回(798488年)、そして欧州ツアーで50回も優勝し、世界No.1も通算「61週」保持していました。全世界で91勝を挙げ、日本オープン選手権も1977年、78年と連覇し、日本でも通算6勝を挙げています。

酪農家の4男に生まれ、キャディのアルバイトをしていた兄の影響でゴルフに触れ、7歳のときにもらった3番アイアンのヘッドに枯れ枝を取り付けてクラブに見立て、小石を打つなどして遊ぶことにより「ゴルファー」としての基礎を自然と身に付けたとされています。8歳になると本物の3番アイアンを手に入れ自分の体の一部のように終始離さず、たった一個のボールが擦り切れて中のゴムが露出するまで打ち続けたというセベは、現在のクラブとは比較できないほど難しかったゴルフクラブで、12歳の頃にはスクラッチプレーヤーの腕前に達し、1974年わずか16歳でプロゴルファーとなったのです。スペインの海岸を錆びた3番アイアン片手に小石を打っていた少年が、セルヒオ・ガルシアをはじめ、現代30台から20台のヨーロッパ選手の憧れとなり、アーノルド・パーマーやジャック・ニクラウスがアメリカでそうであったように、セベはヨーロッパでゴルフというスポーツの地位を確立した、正真正銘の「カリスマ」でした。貧困家庭に生まれ育ったセベがお金持ちの家庭の娘に恋をし、彼女の父親に認めてもらうために必死にゴルフの腕を磨いて結婚にこぎつけたという昔話は、あまりにも有名です。「カリスマ」の歩みには、そんなドラマが付いて回るのでしょう。

私が始めてセベを見たのは「78・日本オープン」でした。ダイナミックなスイングから次元の違う弾道で2連覇を果たした同年代のプレー振りに圧倒され「同じステージで何時の日かセベと戦いたい、そのためにはまず海外に行かなくては」と決断したことを覚えています。強いエネルギーから発せられる「オーラ」を感じましたが、心・技・体が整い、パワーで押し進んでいくタイプでした。プレッシャーの中で、戸惑いながら勝負に挑んでいくのではなく、ウイニングロードに照準を合わせて「ゾーン」に入ることで「勝利」を勝ち取る集中力の強さが、セベ・バレステロスの勝ち方の特徴でした。

ひとたびゾーンに入るとエネルギーを燃え尽きることなくパワーに変換し、燃焼させ続けることで、バーディを重ね、トータル72ホールを突き進む「アグレッシブ」なプレーぶりでした。当時の若い選手は、自分を抑えるという自己鍛錬に欠け、初日、2日目までの空回りで終ってしまうことが多く、セベのように自分をコントロールして、爆発力以上の結果を出すヤングプレーヤーは皆無でした。

セベのパッティングのうまさは特筆もので、ゆったりとしたテークバックは、無理に持ち上げるでもなく、インパクトからは低く地面に這わせて、ボールを長くつかまえていました。ここしかないという、理想的なところにスムースに上がり、後はパターと腕の重さに任せているような素晴らしいストロークでした。難しいパットを決めると、大きなガッツポーズでさらに自身を鼓舞し、その戦う姿でもファンを魅了したプレーヤーでした。

アプローチやバンカーショットもタッチが抜群でしたが、トラブルショットでピンチをチャンスに変える想像力と感性は、誰も超えることはできない技術で天才肌でした。もっともドライバーが苦手で、誰よりも大きく曲げたため、トラブルショットが多かったのも事実でした。「もっとフェアウェイが狭ければいいのに。そうすれば、みんなラフからプレーしなければいけなくなる。俺みたいに」と、戯けたコメントも残しています。ピンが見えない最悪の状況から、何がなんでも、ピンしか狙って行かない「七色のアイアンショット」は、世界中のゴルフファンを楽しませてくれました。

メジャー初優勝を遂げた79年の「全英オープン」(ロイヤルリザム&セントアンズ)では伝説の『駐車場ショット』を披露しています。16番ホールでティショットを大きく右に曲げ、臨時駐車場の車の下にボールを打ち込んでしまったセベは、ルール上の救済により車を移動しスイングが可能な状態にはなったのですが、優勝争いからは脱落したと誰もが思ったものです。ところがこの芝生の生えていない土の上から、グリーンすら見えない状況にもかかわらず4mにボールを乗せ、まさかのバーディを奪い、自身初めてのメジャータイトル獲得を手繰り寄せたのです。このスーパーショットは「全英オープン」の語り草となっています。またその翌年、セベは「マスターズ」で優勝しましたが、やはり、最終日17番ホールのティショットを、今度は左に曲げ、隣の7番ホールに打ち込んでしまいます。ピンチのはずのこのシーンでも、セベはバーディをもぎとってしまったのです。

腰と背中を痛めた96年以降は優勝できずにいましたが、パーシモンからメタルそしてチタンにドライバーヘッドが移行した時期に、対応できなかったことも要因といわれています。チャンピオンズツアーもわずか1戦のみに参戦し、2007年春に50歳で現役引退を表明。離婚後付き合っていた彼女を交通事故で亡くした直後のことでした。若かりし日のバレステロスは、まさにスペインの闘牛士を思わせる戦いぶりでした。彼のゴルフを形容する言葉は「アグレッシブ」の一言でしたが、セベの代理人ロッキー・ハンブリック氏は「あの事故以来、セベから闘志が消えた」と語っています。

1997
年の「ライダーカップ」ではキャプテンとして母国のホセ・マリア・オラサバル、ミゲル・アンヘル・ヒメネスらを擁し、欧州チームを勝利に導いています。脳腫瘍で倒れる数カ月前「ライダーカップ」について問われたセベが、メディアに向かって「今年はアメリカに勝ってほしい。いつも我々欧州が圧勝しちゃって、みんな、つまらないって感じてるよ」と語っています。 かつて、セベはライダーカップで欧州チームを勝利に導く立役者でした。奇跡のような「カリスマ」のリカバリーショットに欧州ファンは大声援を送りました。 不調に陥り、セベが出場しなくなってからも勝率は圧倒的に欧州優勢の状況を憂い、欧米両チームが、最高のプレーでぶつかり合う熱いチーム戦が、ゴルフのもうひとつの魅力だと知ってのコメントだったのでしょう。

セベが「世界のビックイベントにしなくては」と提唱し実現したのが、アジア・欧州対抗戦「ロイヤルトロフィー」です。2回大会までは発案者のセベが、キャプテンとしてバンコクに来ていました。3回大会、選手選考直前に倒れ、同郷のオラザバルにキャプテンを託し、4・5回大会は、コリン・モントゴメリーをキャプテンに指名していました。毎回、最終日の最終組にまでもつれ込む展開で、セベも満足して観戦していたことでしょう。回復して、欧州チームキャプテンとして、タイに戻ってくることを願っていましたが、残念ながらその願いは叶いませんでした。

メジャー初戦「マスターズ」の開幕週の火曜日に、恒例の「チャンピオンズディナー」がオーガスタナショナルGCのクラブハウスで行われました。過去のマスターズチャンピオンだけが、グリーンジャケットをまとって参加する大会前恒例の夕食会ですが、前年度優勝者がメニューを決めることでも有名で、各選手の好物や、母国の郷土料理などが選ばれるのが慣例となっていました。今年は、昨年優勝のP・ミケルソンの発案でガスパチョに始まりビネグレットソースのグリーンサラダ、シーフードパエリア、マンチェゴチーズとスモークパプリカを添えたテンダーロインステーキ、スペイン風アップルパイといったスペイン料理でした。これはP・ミケルソンが、脳腫瘍と闘い戦列を離れているセベを激励する意味で用意したとされています。P・ミケルソンは17歳の時に初めて米国PGAツアーの試合に出場した際、セベと練習ラウンドを共にし、興奮したことを思い出しながら「彼は僕にとって最高の紳士だ、マスターズチャンピオンみんながセベのことを考えている。彼がここにいてくれたらと皆が思っていることを彼に知ってもらいたい。だから今夜はスペイン料理を選んだんだ」と語っていました。セベは大会3日目、に54歳の誕生日を迎えましたが、来年の「チャンピオンズディナー」に参加することは出来なくなりました。

「マスターズ」で27位に入り、日本人初のベストアマを獲得した松山英樹に、マスターズの活躍ぶりを称え「感動した」という内容の直筆サイン入りの手紙を送ったことが明らかになりました。死の直前までゴルフを愛したセベに、ご冥福を祈って「Gracias, Seve!」

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