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SAMMY'S GOLF CO.,LTD.
Bangkok Studio
3FL, 593/13-14 Soi Sukhumvit 33/1, Sukhumvit Road., Klongtan-Nua, Wattana Bangkok 10110
MOBILE: 087-906-7272 (日本語)
FAX: 02-259-2662
URL: www.sammygolf.com
E-mail: sammy@sammygolf.com
Open: 12:00~20:00 (月曜定休)

打ちっぱなし(内輪話)

宮里藍復活優勝

「なでしこジャパン・世界一」に触発されたのか「なでしこゴルフ」を代表して、宮里藍が「エビアンマスターズ」で今シーズン初優勝を飾り、被災地に朗報を届けました。初日から宮里藍、笠りつ子、佐伯三貴の3人のなでしこが、首位と1打差の4位タイと好発進を見せていました。自身初の「LPGA優勝」を飾った思い出の大会で、初日の宮里は6バーディ1ダブルボギーの「68」でしたが「5番でダブルボギーを叩いた後、自分をコントロールしてよく戻すことができた」と09年の再現へ、初日から上々の滑り出しでした。


2日目の首位は通算9アンダーで佐伯三貴でしたが、「68」とスコアを伸ばした宮里藍も1打差の2位タイに浮上して2日目を終えました。17人の日本人選手が出場しましたが、予選通過を果たしたのはそのうち11選手でした。

そして3日目に09年のチャンピオン・宮里藍が主役に躍り出す。首位と1打差でスタートした宮里は、5バーディ・ノーボギーの完璧なゴルフで通算13アンダーとスコアを伸ばし、2位に2打差をつける単独首位に浮上したのです。一方で単独首位からスタートした佐伯三貴は、「珍しく緊張していた」と1番をボギー発進。その後も苦しい戦いでしたが、11番で10mのバーディパットを沈めて息を吹き返し、その後も2バーディを奪い2位タイに踏みとどまり、宮里美香も通算9アンダーとして8位タイと健闘していました。

最終日の宮里藍は3番で5mを沈めるバーディ先行でした。久々の優勝争いで不安もあったでしょうが、バーディ発進で落ち着き、勝利への自信を深めたことでしょう。6番、8番でもバーディを奪い通算16アンダーとして逃げ切り体制を固めつつありましたが、同じ組のR・ホンが11番で10m以上のバーディパットを沈めて通算13アンダーとすると、勢いに乗って、続く12番では50cmにつけるOKバーディと宮里を追撃。対する宮里の12番は、2打目をグリーン奥にこぼすと、寄せきれずにボギーにしてしまいます。わずか2ホールでその差は1打となってしまいました。

しかし「予想はしていました。必ず自分が差をつけて勝てるかは分からないし、上位は実力ある選手が多いと心構えがあった分、一打差になっても焦りはなかったですね」と、続く13番の第2打はピンをかすめて5mにつけ、そのバーディパットを沈めて再び通算16アンダーと引き離しました。

2打差をつけて18番を迎え、2パットのパーで逃げ切りました。「やっぱり1回勝つのはすごく大変だと思いましたがやっと今季一勝を挙げられたので、後半も勝ち進んで行けたらと思います」09年に「エビアンマスターズ」で初勝利を果たした宮里の2010年は、開幕戦から2連勝を含む年間5勝と大活躍でした。同じ流れなら、来年の活躍も間違いなさそうです。

大ギャラリーの笑顔と青い空に白い雲、エビアンピンクに彩られた18番グリーンでの華やかな表彰式でしたが、宮里はスピーチの途中で感極まり、涙がほほをつたいました。「自分のことっていうよりも、この試合自体が、特にトーナメントディレクターのジャックが気を利かせてくれて、日の丸が降りてきたときに“日本のことを思いましょう”って言ってくれたりして、そういう心遣いの温かさが自分の優勝以上にうれしかったです」と答え、女子サッカーのW杯で優勝した「なでしこジャパン」に続き海外で栄冠を、震災からの復興に立ち向かう日本へ届けてくれました。

 

第二のふるさとでもある被災地に対する宮里の気持ちと、その想いを支えて応援してくれた地元フランスの人たちへの感謝が、涙になってこぼれ落ちたのでしょう。

「エビアンマスターズ」優勝の翌週に開催されたのは、米国女子メジャー最終戦「全英リコー女子オープン」でした。メジャー初優勝の期待がかかる宮里藍は、18ホールの練習ラウンドを終え「やるべきことはやってきたので特に変わりはないです」と、前週優勝で迎えるメジャー大会を、平常心で臨むことを語りました。

緊張を強いられる優勝争いでの精神、肉体面での消耗についても、「睡眠をとるのが大事なので、結構寝ていました。体が寝ることを欲しているときには、起きてもまた寝るようにしています。夜も眠れているので、体は休めていると思います」と、疲れている中でも万全の準備を整えたようでした。

「全英リコー女子オープン」の開催地はスコットランドのカーヌスティ・リンクスでした。1840年にオープンし、これまで全英オープンを7回開催しています。非常に戦略性が高く、さらに他のリンクスコースにない「バリー・バーン」と呼ばれる小川がコース内を流れており、この「バリー・バーン」がコースの難易度をさらに高めています。

1968年にこのコースで優勝したゲーリー・プレーヤーは「世界で最も難しいコース」と語っていますが、「全英オープン」の開催コースの中でも一番難しく、世界のゴルフコースの中でも5本の指に入るといわれています。

1975年以降、コースが荒れたことや観客の収容人数が不足したこともあり、全英オープンは開催されませんでしたが、1999年に1900年代最後の年を記念してホテルや観客席を増設し、24年ぶりに復活しています。この大会が「全英オープン」史上に残る大会になったことや、興行的にも成功したことで、「カーヌスティ」は再び全英オープンの開催コースとしてローテーションに復帰し、2007年に再び全英オープンを開催しました。

 

最終18番(499ヤード・パー4)は「Home」という名前がついていて、左側がグリーンまでOBゾーンになっており、選手にプレッシャーを与える「バリー・バーン」がティーの右側からフェアウェーを横断し、グリーンの手前まで流れています。

2007年大会でも、首位を走っていたパドレイグ・ハリントンが「バリー・バーン」に2度捕まり、ダブルボギーを叩いて首位から陥落、1999年大会の「ジャン・バンデベルデ・カーヌスティの悲劇」の再来を思わせました。2位に3打差をつけて最終18番ホールを迎えたJ・バンデベルデはティショットを右に大きく曲げて隣の17番ホールへ打ち込んでしまいます。グリーンを狙った2打目は観客席を直撃して深いラフの中へ。そして3打目、ダフリ気味のボールは無情にも「バリー・バーン」に飲み込まれてしまいます。

冷静さを失ったJ・バンデベルデは無謀にもウォーターショットを試みようと靴下を脱いで「バリー・バーン」の中へ。しかしJ・バンデベルデが作った波紋によってボールが岩の間に入り、結局拾い上げてペナルティを払う処置をしました。

しかしその5打目はドロップするところがない最悪の状況でした。「バリー・バーン」の手前はもとより、そこからいくら遠ざかっても深いラフが続いており、おまけにギャラリーが埋め尽くしているところはOBゾーンでした。J・バンデベルデは長く深いラフの中にドロップするしかなかったのです。

いったい「全英の神様」は、いくつ彼に試練を与えるのか?最悪の場合また「バリー・バーン」に入る可能性もあった5打目は、「バリー・バーン」をやっとこえたものの、バンカーにつかまり結局6オン。何とか1パットで決めたもののトリプルボギーを叩き、決着は地元のポール・ローリーとJ・レナードとのプレーオフになりました。

プレーオフではJ・バンデベルデに流れが傾くことは無く、ポール・ローリーが逆転で初メジャー優勝を決めました。メジャーに勝つということの本当の大変さを嫌というほど見せつけられた大会で、ギャラリーも胸が苦しく、切なくなる「J・バンデベルデ・カーヌスティの悲劇」でした。

2007年はP・ハリントンのミスに乗じて首位に立った最終組のセルヒオ・ガルシアが、入れば優勝というパーパットを外しプレーオフに突入、命拾いしたP・ハリントンはS・ガルシアをプレーオフで振り切り優勝を決めました。二度目の悲劇を乗り越えたP・ハリントンは、翌08年のロイヤルバークデールの大会も制し「全英2連覇」を果たしたのです。

今回の「全英女子オープン」に挑む宮里藍には、両親以外にも心強い援軍が応援に来ていました「女王を育てる最強のカリスマコンビ」として知られるピア・ニールソンとリン・マリオットの両コーチです。二人から「今の藍は非常に自信を持っていて素晴らしい。集中力も抜群で確実に勝てる。最終日に彼女はメジャーチャンピオンになる」とお墨付きをいただいての初日でした。

20年以上ゴルファーのメンタル強化に取り組んできた両コーチは全18ホールでバーディを取ることを目標にする「ビジョン54」の提唱者として有名です。母国スウェーデンのアニカ・ソレンスタムを、メジャー通算10勝の「女王」に育て上げ、米ツアー史上最多の賞金女王8度に導いたことが評価され、最近では現在世界ランク1位のヤニ・チェンや昨年の賞金女王チェ・ナヨンにも指導をしています。

宮里藍はこの大会3年連続で1桁順位に入っており、調子が上向きということもあり「すごく楽しみ」ということでした。宮里美香も今季のメジャー3大会を全て10位以内と安定し「エビアンマスターズ」も9位と好調をキープしての参戦で「トップテンに入りたい」と意気込みを見せ、予選ラウンドはジュニア時代からのライバルの「女王」ヤニ・ツェンと同組でした。

そして迎えた「全英リコー女子オープン」の初日は、これが「全英」かと、目を疑うような快晴無風の絶好のコンディションでのティオフでした。しかし待っていたのはこれまた目を疑うような光景でした。

宮里藍の1番のティショットはフェアウェイセンター。2打目はランを計算してグリーン手前に落としたのですが、傾斜にキックしてグリーン奥のカラーまで転がってしまいます。下りのファーストパットは1m強オーバーして、返しを外してのボギー発進でした。続く2番は第2打をグリーン左のバンカーに入れて寄らず入らずのボギー。3番はフェアウェイに打ったティショットがディボットに入る不運。2打目はうまく球を捉えられずに、グリーン手前の「バリー・バーン」に入れてボギー。4番はティショットが右ラフに入り、3オン2パット。続く5番はティショットが右のバンカーに捕まり、2打目は出すだけと、立ち上がりから5ホール連続ボギーと最悪のスタートでした。

6番のパー5でようやくバーディを奪った宮里は、「ふーっ」と大きく息を吐いたのですが、この日はそれだけでは終わりませんでした。4オーバーで折り返した後半13番、下りのパーパットを打とうとしてアドレスに入ったところ、ボールが動いてしまい1ペナルティを課せられます。動揺したのか1mのこのパットも外してダブルボギーとしてしまいます。

14番、17番と2つのバーディを取り返してなんとか通算4オーバーでホールアウトしましたが、首位とは11打差の108位タイと大きな出遅れの初日でした。宮里藍は、調子が良すぎて、気持ちが攻めてしまったのではないでしょうか。ボギー先行で取り返そうと無理をして、さらに崩れてしまうという、悪い流れにはまってしまったのでしょう。「いろんなことがあったけど、我慢するところは我慢して、後半2つ取り戻せたのは良かったです」と、前向きさは失いませんでしたが、ツキに見放されていたことも確かでした。

3試合前の「ウェグマンズLPGAチャンピオンシップ」でもアドレス後に球が動いてペナルティがありました。「結構、踏んだり蹴ったりな感じで。一カ月に2回はなかなかないよねってキャディのミックとも話していました」と、悔しい一日を振り返り「明日はもうちょっとスマートなゴルフをしたいです」と、下位からの巻き返しを誓っていました。

予選通過を目指す2日目の宮里はバーディ先行でしたが、後半の11番、12番と最終18番もボギーで、カットラインに2打足らずに「全英女子オープン」では04年以来7年ぶり2度目の予選落ちでした。

予選さえ通っていれば、3日目に追い上げて、最終的には日本人最上位でフィニッシュが可能な内容に感じました。「最後はちょっともったいなかったですね。14番、17番のパー5で獲れなかったのが、予選落ちの原因です」と分析していました。

メジャーというミスの許容範囲が極端に狭い舞台で、前週優勝した自身の好調さに対する過信もあったのかもしれません。それでも、「間違ったことはしていないと思うし、やり続けていれば順番は回ってくると思うので、今はメジャータイトルに対する焦りはありません」と、今年最後のメジャーを総括しています。

大会は世界ランクトップに君臨する「女王」ヤニ・ツェンが今季4勝目を挙げ、大会連覇を果たしました。22歳にしてメジャー5勝の強さは異次元のものでしたが、宮里藍にも可能性は同じだけあるのです。メジャー制覇という大目標に向けて、来年こそ順番が回ってきて欲しいものです。

育成に劣る日本のゴルフ界

「ロイヤル・セントジョージズGC」で開催された「第140回・全英オープン」はダレン・クラーク(英国・北アイルランド)が挑戦すること20回で悲願のメジャー初制覇を果たしました。一日の中で四季があるのが「リンクスコース」の特徴ですが、最終日も晴れたと思えば強い雨が降りだし、降り止んだと思えば突然の強風と、選手たちはリンクス特有の気まぐれな天気との闘いを強いられました。

「ロイヤル・セントジョージズGC」は、「スコットランドのセント・アンドリュースに匹敵するゴルフコースをイングランドにも創ろう」と造成されたコースで、年ごとにローテーションされる全英、全英女子の会場の中でもリンクスの傑作と言われる難コースです。海に面しているため風向きは刻一刻と変わり、フェアウェイの起伏は見た目より大きく、グリーンにも大きなアンジュレーションがあり、弾道や落ち所のわずかな違いで大きく左右にキックしたり、転がり過ぎると決まって「ポットバンカー」に転がり落ちることになります。ナイスアプローチに見えても、ピンを通り過ぎるとスロープを下り落ちてしまうこともあり、ラッキー・アンラッキーが背中合わせの難易度の高いコースでした。

優勝したD・クラークは、母国の北アイルランドでジュニア育成のため基金を設立し、ジュニアゴルファーを指導しています。今年の「全米オープン」を制した、若き王者ロリー・マキロイの生みの親ということになります。10歳のR・マキロイ少年と出会い、12歳から本格的な指導を始めて以来、今でも師弟関係にあります。その師匠に弟子のR・マキロイから送られたメールの内容はというと「彼の全米最終日前に俺から送った内容とほとんど同じことを書いてきてくれて、リマインドしてくれた」と笑いながら答えていました。「タイガーからも何回かメールがあった。いくつかアドバイスをもらって、その内容も素晴らしいものだった。それをもらったおかげで、今日のラウンドが少し楽になったよ」と、タイガーからの応援メールもインタビューで明かしています。メールの内容は?との質問には「それは答えられない。俺と彼との間の話。プライベートだ」と明確には答えませんでしたが、何時の日かタイガーが答えることでしょう。また追い上げながら、負けてしまったP・ミケルソンも「大勢の選手が祝福しているはずだ。彼ほどのナイスガイは他にいないから」と、この勝利を讃えていることからもD・クラークの人望の厚さを感じます。

93・全英オープン」で、史上最少スコア267で優勝したグレッグ・ノーマンが使用した「優勝ロッカー」がD・クラークに与えられた時から、ウイニングストーリーが始まっていたのかもしれません。トム・ワトソンから「幸運のロッカーだよ」と声をかけられたのも「ナイスガイ」のおかげなのではないでしょうか。そういえば「全英オープン」2連覇を果たしたP・ハリントンが、勝因を聞かれ「ナイスガイだから」と答えていたのを思い出します。「全米オープン」2年連続優勝の北アイルランド勢の活躍もあり、何かを感じて「全英」に挑んだようです。

06
年にはヘザー夫人を乳がんのために、D・クラーク自身の誕生日の一日前に亡くすという本当に辛い時にも、直後に開催された「ライダーカップ」に参加し3戦全勝と、欧州チームを優勝に導くチームの柱として活躍しました。「いつも見守ってくれていた。彼女も誇りに思ってくれていることだろう、それ以上に息子2人をちゃんと育てていることを、誇りに思ってくれるかな。最初で最後のメジャーになるかもしれないけど、そのプロセスを大事にしたい。「俺は全力を尽くすだけだ」と昨日も言ったけど、その通りにできたし、それが優勝する力になっただけ。俺は同じことを子供達にも言っている。そして彼らもいつも全力投球で頑張っているよ」と激闘を戦い抜いたベテランが、大好きな「ギネス」を飲みながらのインタビューでした。

D
・クラークは90年にプロ転向し「ダンヒルオープン」で欧州ツアー初優勝を挙げ、今大会で通算14勝目になります。日本が大好きな選手としてもよく知られており97年から日本ツアーにも参戦しています。01年「中日クラウンズ」0405年と「三井住友VISA太平洋マスターズ」で2年連続優勝も果たしています。世界ランクは8位が最高ですが大会前は111位までランクダウンしていました。今回の優勝で30位までランクアップし、今年の更なる活躍が期待できます。188㎝、90キロの体格で、異名は気持ちが入ると顔が赤み帯びるため「赤鬼」といわれています。

序盤でのP・ミケルソンの追い上げは、自分で流れを作り、自分で壊しているかの様に「リンクス」に飲み込まれて、つぶされました。後半、同じ組のD・ジョンソンの猛追にも、冷静に自分のゴルフができたのは、D・クラークが風の中でどんなゴルフをすれば、スコアを崩さないかが判っているからこそでしょう。「リンクス」を知り尽くしたゴルファーの勝利でしたが、突然変わる天候、激しい雨風という「リンクス」に対峙する戦いぶりは、強く美しいものでした。辛い時期を乗り越えて、母国の後輩をメジャーチャンピオンに育て上げた北アイルランドのエース「赤鬼」の見事な復活劇でした。

なでしこジャパンが世界の頂点に立ちました。この道のりで欠かさなかったのが育成世代からの、個々の「欧米化」でした。沢が99年米国に移籍して海外の道を切り開き、現在のなでしこジャパンには経験者も含め8人のメンバーがおり、現在も米国、フランス、ドイツと計5人が海外でプレー中です。日本サッカー協会は「海外強化指定選手制度」を導入し、海外移籍選手に一日1万円の日当を支給しています。

男子のような華やかな移籍とはまるで違い、女子サッカーの実情は厳しく、ドイツ・デュイスブルグに所属する安藤は支給がなければ生活すらままならない状況のようです。それでも海外経験は不可欠なことです。国内リーグの空洞化を懸念する声より、代表チームが世界で活躍することを優先させて取り組んできた「育成制度」が大輪の花を咲かせたことになります。

女子サッカーの底辺を拡大することにつなげる「なでしこチャレンジプロジェクト」では、U15世代から人材を発掘し、海外経験をつませることで、代表チームの底上げを図るプランが動き出しています。「サッカー協会」はこれからもさらに「海外強化指定選手制度」拡大してく方針のようですが、石川一人を頼りに、石川が海外に行くのもままならない「プロゴルフ協会」とは大きな開きを感じます。「小さな娘たちが粘り強くやってくれた」と佐々木監督は語っています。日本の女子ゴルファーにも同じことが言えますが、欧米人との体格の差はいたしかたないことで、それでも海外で結果を残すには、信念を強く持ち「戦う姿勢」を貫き通すしかありません。宮里藍も海外でのゴルフに専念し、何年もかかって今のポジションを手に入れたのです。

男子には今田竜二という先駆者が頑張っていますが、後に続く若手プレーヤーが現れません。スポンサーが少なかった「日本サッカー協会」は「Jリーグ」を立ち上げ、「プロ野球」に負けぬファンを獲得するために、チームと選手の強化を続け、男子は世界で通用する選手が続々と登場してきています。スポンサーのご機嫌を窺い、人気選手を海外に出したがらない「プロゴルフ協会」との取り組みの差が、鮮明に現れてきています。一体誰のための、何のための「協会」なのでしょうか。ファンを魅了するプレーができる選手を育て、世界への道筋を示すのも「協会」の重要な役割のはずです。ゴルフ人口を増やし、可能性のあるジュニアを育成し、将来のために海外留学や海外参戦をサポートする取り組みも必要です。スポンサーがつかず、選手たちも「協会」も金銭的にも苦しかった「女子サッカー」を「世界一」に導いた「協会」の取り組みを「日本ゴルフ協会」・「日本プロゴルフ協会」は、重く受け止めなくてはいけない時期を逸し、すでに手遅れのように思います。

英国のプロゴルファーは、回転楕円体のボールを使うラグビーや、地面にボールをバウンドさせるところから始めるクリケットといった「英国発祥」スポーツの、不規則なボールの動きに慣れているのか「イレギュラー」は当たり前と思っているのかもしれません。英国ではラグビーとクリケットは共に上流階級のスポーツとされており、名門校の体育の授業ではクリケットは必修種目とされています。

子供のころから「イレギュラーバウンド」に慣れ親しんでいるためか、ラッキーを味方にすることも勝者の条件で「強いものが勝つ」というよりも「勝ったものが強い」という教えが根本にあるように思います。「環境とコースがプレーヤーを育てる」というのはまさにこのことで、日本で開催されるトーナメントのコースセッティングは甘すぎます。そのため海外からのスポット参戦で、時差ボケがあってもあっさり勝たれてしまうのでしょう。逆にイレギュラーを「アンフェア」ととらえ、スコアを落とすような選手は、「全英オープン」に参加する資格はありません。日本から参加した6名のうち予選を通過したのは池田だけ、韓国からはキム・キョンテ以外の5名中4名が予選を通過しましたが、これが現実です。来年からの日本選手の出場枠減が心配ですが、参戦するのなら「環境とコースに慣れる」準備をしなくては英国紳士にも、日本で応援しているファンにも失礼な話です。

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