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SAMMY'S GOLF CO.,LTD.
Bangkok Studio
3FL, 593/13-14 Soi Sukhumvit 33/1, Sukhumvit Road., Klongtan-Nua, Wattana Bangkok 10110
MOBILE: 087-906-7272 (日本語)
FAX: 02-259-2662
URL: www.sammygolf.com
E-mail: sammy@sammygolf.com
Open: 12:00~20:00 (月曜定休)

打ちっぱなし(内輪話)

「ゴルフへの情熱」の継承

PGAツアー「ソニーオープン」で、今年初戦を迎えた石川は残念ながら予選落ちでした。復活に向けて何かをつかみかけていただけに、決勝ラウンドの2日間も戦いたかったに違いありません。2日目の7番ホールでバーディを奪った後、8番ホールの決めなくてはいけないパーパットをわずかに外しボギーにしたのですが、好調だった同じ組のK・J・チョイや、昨年賞金ランク2位と大躍進を見せたウェブ・シンプソンも、1メートル前後を簡単に外すほど、見た目では判断できにくい海風の影響を受けた強い芝目が入り交じった、ワイアラエCCの難しいグリーンに惑わされているようでした。

続く9番ホールのパー5は流れるようなナイススイングで、イーグルチャンスに2オンしていただけに、8番のパーパットが決まっていれば9番のイーグルパットも入る流れが作れたはずです。しかしこれも決まらず残念なバーディでしたが、スイングは完全に良くなっていると感じました。10番もワンオンが狙えるイージーな短いパー4ですが、ティショットがグリーンサイドバンカー左手前の、木の根元に近い強烈な左下がり傾斜に止まってしまいました。ギリギリを狙ったロブショットは、だるま落としのようになり手前のラフまでしか飛びませんでした。そこから寄せてパーでしたが、バーディだったW・シンプソンのように右から攻めればバーディがとれて、流れを作り直せたかもしれません。

テレビで見る石川に笑顔は無く、何かに追い込まれたように口を真一文字に結んでのプレーでしたが、必死にプレーにのめり込みすぎると「勝負の流れ」は見えてきません。そのためか続く11番パー3で4mのバーディパットをオーバーし、返しを外す3パットのボギーと最悪の流れにはまり、続く12・13番も決められずにカットラインから大きく遠のいてしまいます。14番パー4はティショットを左に曲げ、ラフからのセカンドを無理に狙いグリーンオーバーとやってはいけない最悪の展開を自ら引き寄せてしまいます。悪い流れを断ち切るにはチップインのようなスーパーショットが必要ですが、そこからのアプローチが5mもオーバーしてはパーパットも入るはずがありません。このボギーで予選通過が完全に危なくなります。予選通過のために攻めたのでしょうが、結果として手前から攻めたほうが寄せも簡単だったはずです。

しかしこれで開き直れたのか、15番のバーディパットは下半身が動かず、目線もボールを追わず完璧なタッチでバーディを決めました。18番のセカンドも素晴らしいスイングを見せバーディフィニッシュと「スイング改造」は、とても良い方に進んでいるようです。ショートゲームもそれなりに安定していましたが、流れを作るスーパーショットやチップインがあればスコアは大きく変わりそうに思えるラウンドでした。今シーズン初戦で予選落ちは残念でしたが、世界に通じる大人になりつつあるスイングで、優勝争いも近そうに感じました。本人は自信を取り戻したように見えましたが、やはり「笑顔」が足りませんでした。

今季の開幕戦で予選通過に2打及ばなかったことを受け「バーディを4つ取れたが、もったいないボギーがあった。アプローチのミスがあり、その辺のミスを抑えられればアンダーパーで回れた。参戦最初の年に比べると通用するショットが打てたし、強い気持ちは心の奥にはある。自分としてはやるべきことをやった。次の試合までに、いい状態にしたい」と、感じた手応えを語っていました。

しかしホールアウトした石川に、ギャラリースタンドから容赦ない日本語のヤジが浴びせられました。最終18番のプレーを終え、スコア提出所に向かっていた石川に「この野郎、もっと、しっかり練習しろよ」とギャラリーからの大きな声が響きました。16歳でプロに転向して以来、華やかに第一線で活躍してきた石川が浴びる初めてといってもいい屈辱だったでしょう。石川は無視するように下を向き、足早にその場を後にしました。

考えてほしいのですが、普通の若手選手だったら二十歳でプロ初優勝しただけでも「期待の新星」と騒がれるところです。石川の場合は既に「10代初の賞金王」を獲得して、不調と言われる昨年・一昨年も賞金ランク3位と、 平凡な普通の選手とは違うことはゴルフファンなら周知の事実です。その石川に対して「この野郎」とは、とても声援とは思えず、ゴルファーとしては最低のヤジだと思います。もしその場に私がいたら、探し出して二度とトーナメント会場に顔を出さない約束をさせたでしょう。石川は人一倍練習をしたからこそ、今のポジションまで上り詰めたのです。「もっと、しっかり練習しろよ」という言葉は、日本のゴルフファンの熱い想いを全て一人で背負いこみ、必死に戦ってきた「20歳の石川遼」に対して大変失礼な言葉です。

野球やサッカーのようなチーム戦では、お互いに選手もサポーターも相手チームの中心選手をヤジることはあるでしょう。そのノリでトーナメント会場に来られては、選手からすればたまったものではありません。 大相撲で贔屓の力士が負けたからといって、相手の力士にヤジを飛ばす大相撲ファンはいないはずです。 ゴルフは「あるがままに打つ」が基本原則です。プロトーナメントにおいては競技委員に判断を任せる事もありますが、本来は自分以外には審判がいないスポーツです。あくまでも競技者自身が審判でありルールはもちろんのこと、マナーを守ることが非常に重視されるスポーツなので「紳士・淑女のスポーツ」とされているのです。今回の件は「マナーが守れないのなら出ていけ」と本人を探し出し、きつく叱責して欲しかったですね。 

ジャンボが絶好調のときに「優勝したら、次の優勝までに新しい課題をひとつクリアしなければ勝てない」と語ったことがあります。それは、勝利には運不運がつきもので、次を勝つために不足している要素をクリアする「確かな技術」をさらに身につけなくてはいけないということなのでしょう。「若さの勢いでバンバンと怖さ知らずのゴルフは長続きしない。特に世界のメジャーで戦うとね。それが解ると悩みの時期に入るんだよ」と、ジャンボは石川を心配するかのように語っていました。その「悩みの時期」に入った石川が、プロツアーを初めて観戦したのは2001年の「日本オープン」でしたが、その時出会ったのがジャンボ尾崎でした。大人たちの呼びかけを無視しながら「ジャンボさんが怖い顔して歩いてきて、小学4年生だった自分だけにサインをしてくれた」と石川は強烈な想い出として語っています。感激してプレーを追いかけた18ホールで見た、力強さにあふれるジャンボのドライバーショットが石川の脳裏に刻まれ、ドライバー至上主義の「石川遼のプレースタイル」になっていったのでしょう。

愛媛県松山市に生まれ育った松山が、初めてプロを見たのは小学1年生の冬だったといいます。球拾いをする代わりに練習させてもらっていた地元松山のゴルフ場に、青木功プロが西川哲ら同門の若手プロや、工房などを装備したトーナメント用のツアーバンを引き連れて「クラブテスト」のためにやってきたのです。しかしデータ収集を目的とした「クラブテスト」は部外者立ち入り禁止が原則ですが、松山は父親と一緒にこっそりと青木プロのプレーを追いかけたといいます。

ところが青木プロと一緒に来ていた西川がすぐに松山少年を見つけて「ボクはいくつ?クラブは一番何が好き?」と声をかけたといいます。「ドライバーが一番好きです」と答える松山少年に、西川は「ドライバーもいいけどパターが一番うまくないといけないんだよ」と言い、「ボクだけだったらいいよ。一緒についてきて」と松山親子をコース内に招き入れてくれたのです。松山少年は、当時「世界最高峰」とされていた青木プロのアプローチやパッティングの技術を目の当たりにしたのです。「最初にプロの生のプレーを見たのが青木さんでした。いろんな技術を見せてもらいました。見よう、見まねでやっても全然できなかったですけど」と、少年時代を振り返っています。

「三井住友VISA・太平洋マスターズ」で史上3人目となるアマチュア優勝を飾った翌週に開催された「ダンロップフェニックス・トーナメント」の会場で青木プロから「パターうまくなったな」と祝福されたということですが。松山にとってはこれ以上ない褒め言葉だったに違いありません。青木プロは「プロのゴルファーは金と名誉のためにプレーしている。アマチュアの松山はどんなに悪くたってゼロでしかない。だから勝ち負けのプレッシャーを感じずにプレーできている。その結果がこないだの優勝につながった。勝つことでプロのプレッシャーを感じてきているのが今の遼。松山もそれはプロ宣言してからでないと感じられないことだよ」と、石川と松山の置かれた立場の違いを語っています。

2人のゴルフはプロ、アマの関係なく、日々の練習により進化を続けています。石川はドライバー一辺倒から、アイアンからアプローチ、パターまで、世界に通用するためのスイング改造を始めています。松山は石川より大きい1m80cm、85kgの体を生かし、飛距離アップを目下の課題として共に2度目の「マスターズ予選通過」を目指し、懸命にゴルフに立ち向かっています。ジャンボや青木プロから受け継がれた「ゴルフへの情熱」が、いつの日か大輪の花を咲かせて欲しいものです。

生涯現役のこだわり

「ホンダLPGAタイランド」が2月16日から「サイアムCC・オールドコース」で開催されることが決定しましたが、今年は宮里美香に期待して応援したいですね。2004年に「日本女子アマチュア選手権」のタイトルを日本最年少記録で勝った時、彼女は、まだ14歳の中学生でした。その成績が評価され「特例」で高校生以上の代表選手が競う「世界アマ」に出場しましたが、諸見里しのぶ、原江里菜らというチームメイトと共に、団体で4位に入っています。

さらに'06年の「世界ジュニア」では、現在の世界ランク1位「女王」ヤニ・ツェンに競り勝ち、優勝を果たしています。世界の強豪と互角に戦える自分に気がつき、美香は「それなら、世界で戦いたい」という気持ちを強く持ち「JLPGA」ではなく「LPGA」挑戦を決意したのでしょう。

高校卒業直後の08年6月に渡米し、年末行われた「クオリファイング・トーナメント」で12位に入り、2009年のシードを獲得し「LPGA」参戦を見事に決めたのです。テニスの錦織が「IMGニック・ボロテリー・テニスアカデミー」に入門したのと同様、フロリダの「IMGアカデミー」で「クオリファイング・トーナメント」のための準備をしています。「IMGゴルフアカデミー」には、技術、メンタル、フィジカルの専任コーチがいます。プロゴルファーとして必要な総合的な指導を受けられますが、その成果が年々成績に顕れてきています。

美香は、2011年米ツアー4大メジャー大会で獲得した賞金を、東日本大震災の義援金として全額寄付することを表明していました。その成績は「クラフト・ナビスコ選手権」7位タイ、「全米女子プロ」8位タイ、「全米女子オープン」5位、「全英女子オープン」14位タイと素晴らしいものでした。獲得賞金総額は26万1171ドル。1ドル80円で換算すると約2090万円となりました。東日本大震災に対しては、著名なスポーツ選手から高額の義援金が相次ぎましたが、美香は日本のアマチュアNo.1から、スポンサーなしでいきなり米国に渡り、19歳でプロデビューして、今年4年目のシーズンを迎えた新鋭です。この若さでこれほど大々的な支援活動をしている選手は、石川遼と宮里美香だけではないでしょうか。

美香が昨年の4大メジャーのすべての大会で「日本人トップ」の成績を収めていることが、今年の活躍を予想する理由です。一昨年は4大メジャーのうち予選を突破したのが「クラフト・ナビスコ選手権」と「全米女子プロ」だけで、成績も40位タイと13位でした。4大メジャーで「7位タイ、8位タイ、5位、14位タイ」というのが、どれくらい優れているかは、ほかの日本人選手の成績と比較してみるとよく分かります。メジャー4試合すべてで予選を通過した選手は美香しかいないのです。宮里藍でさえ2試合で予選落ち。3試合で予選を通った上田桃子は「全英女子オープン」の22位タイが最高位でした。

4大メジャー大会ですべて14位以上というのは、昔のことですが1987年に岡本綾子が全4戦トップ5入り(5位タイ、3位タイ、2位、2位タイ)を達成して以来の好成績でした。この年の岡本は「LPGA賞金女王」に輝き「年間最優秀選手」にも選ばれています。ソフトボールから転身し、ゴルフを始めた年齢自体が遅かったとはいえ、岡本はその時36歳でしたが、宮里美香は今年まだ22歳です。

美香の2010年のフェアウェイキープ率は72.7%で、米ツアー出場選手の中で20位だったのに対し、2011年は79.9%で7位と大きくランクアップしています。パーオン率も33位から23位とレベルアップし、ショットの正確性に磨きがかかり、成績が上がったのが分かります。しかし美香自身はメンタル面の成長を挙げています。メンタルコーチと電話で連絡を取りながら、大会中も1日ごとに状況に応じた助言を受けていたと明かしています。トラブルに見舞われると、よく似た状況から、うまく乗り越えた選手の映像を動画サイトで見るなど、様々なメンタルコントロールを試みて、平常心でのラウンドを常に心がけたということです。今年も初戦の前にフロリダの「IMGゴルフアカデミー」で、2012年のシーズンに備えていますが、出発前に行われた「マンシングウェア」とのウエア契約発表会では「マンシングウェアは、11歳で人生初の優勝を飾った沖縄県民ジュニアゴルフ選手権で身につけていて、縁があるのかなと思う。世界ランク、賞金ランク、全部1位になりたい!」と今年の活躍を誓っていました。

 

「マンシングウェア」といえば杉原輝雄プロの姿が思い浮かびます。50年以上の長きに渡り現役を続行してきた存在感の大きさから「日本プロゴルフ界のドン」と後輩プロゴルファーや、多くのファンに親しまれる存在でしたが1998年に発病した前立腺がんとの闘病の末、昨年末お亡くなりになりました。1957年のプロ入り後、1962年の日本オープン選手権を皮切りに、2008年までの優勝回数は尾崎将司プロ、青木功プロに次ぐ歴代3位の63勝(うち海外1勝、シニアツアー8勝)を挙げています。

ゴルフジャーナリストの三田村昌鳳氏のインタビュー記事によると「僕自身はプレッシャーに強いと思わない。どうしたらいいのかも解らない。そのとき思い切ったことをやれたら、それでいいと思う。やれることだけをやればいいんです。と思っても萎縮するんだけど。それまで、どれだけやってきたか。プレッシャーがかかるのは、ひょっとしたらいい結果がでるかも知れないからですやろ。上手くいけば優勝とか、出したことのないスコアとか。プレッシャーをはねのけられる技術なんて、並大抵じゃ身につかない。だけど、はねのけるために技を磨く。結果は望むけれど、あまり結果を意識しないほうがいいね。意識すると、たいてい悪い結果になるもんや。もちろん、相手がうまくいきそうだという時には、神頼みでも失敗してくれたらと、そういう気分もありますよ。すごく時間が短く感じるんですよ、そういう状況下では。勇気?思いきりです最後は」と、迷いの中にある石川に聞かせたいですが、杉原プロ自身が語る、勝負へのこだわりが詰まっています。

杉原プロの練習量の多さはゴルフ界では有名で、その練習熱心な姿を見て育ち活躍した関西出身のプロゴルファーは数知れません。また162cmとプロスポーツ選手としては小柄な体格をカバーするために、徐々に長くしたドライバーのシャフトは47インチを越え、長尺ドライバーを使いこなす先駆者でもありました。ドライバーの飛距離ではA・O・Nに適わなくてもフェアウェイウッドを握り、遠くから先に打つセカンドでピンそばに寄せ、プレッシャーをかけるプレースタイルでした。飽くなき勝利への執念から「マムシの杉原」と恐れられ、衰えた筋力の強化のため、1996年5月から「加圧式筋力トレーニング」を開始していました。

杉原プロが前立腺がんを宣告されたのは1998年12月のことでした。細胞を取り出して行う生検で確認されたのですが「がんが見つかったのは、たまたま親しい友人が、私が前立腺肥大に悩んでいるのを知って、千里のTクリニックを紹介してくれたからです。検査を受けたところ、前立腺がんの疑いがあるということで、細胞をとって調べることになり、その結果、やはり前立腺がんだということになったわけです。驚いたというよりは、やっぱりそうかという感じでしたね」と回想されていました。杉原プロ自身「がんに違いない」と感じていたものの、もし前立腺がんと宣告されれば「生涯現役」の夢が潰れてしまうことになり、検査結果を聞くのに時間が必要だったとも告白されています。

しかし、がんが比較的初期で、質の悪いタイプのものでもなかったので、医師は外科手術によって患部を摘出する方法と、ホルモン療法で患部の拡大を抑制していく方法があることを詳しく説明したといいます。ホルモン療法というのは、がん細胞増殖の原因となる男性ホルモンを、薬剤によって抑える方法ですが、現役を続けることしか頭にない杉原プロにとって、選択肢はこれしかありませんでした。

「最初から手術を受ける気はなかったですね。手術すれば完治する可能性が高いと言われても、クラブが振れるまでに3カ月かかるということでしたから、それはできんと思いました。まだ50歳くらいだったら、手術する気になったかもしれませんけど、60になっていましたからね。そんな悠長なことしておられんという気持ちでした」と手術に踏み切らなかった理由を明かしています。前立腺がんとトーナメントプロを両立させるのは「至難の技」だったのではないでしょうか。賞金を稼ぐというトーナメントプロにとって男性ホルモンは必要不可欠な存在です。「賞金稼ぎ」の「狩猟本能」を支えるのは、男性ホルモンが作り出す「闘争心」であり、その並外れたパワーの源泉にあるのも男性ホルモンです。しかし、前立腺がんにとって、男性ホルモンはがん細胞を増殖させるため、絶対に抑え込まなければならない「天敵」でした。

抗男性ホルモン剤を投与することは、薬剤によって「去勢状態」の男性を作り出すことになります。以前は、前立腺がんの手術といえば、睾丸の摘出手術がメインだったことからも分かるように、前立腺がんは「去勢状態」にしなくては進行が早まります。しかしこれでは、いくら筋力トレーニングをやっても、パワーが落ちてゆくことになります。杉原プロは抗男性ホルモン剤の影響で、ドライバーの飛距離が20ヤード近く落ちてしまったそうです。そこで杉原プロは抗男性ホルモン剤をうつことをやめて、以前から取り組んでいた「加圧式筋力トレーニング」だけに切り替えたのです。このトレーニングは、腕や脚など鍛える部分を帯のようなもので縛り、酸素の供給を制限した状況のもとで行う過酷な筋力増強法として知られていますが、杉原プロは35歳の筋肉といわれるまでに筋力が甦ったといいます。「どうもパワーが出ませんでね。ボールは飛ばないし、パットも入らない。せっかく260ヤードになったドライバーの飛距離が240に落ちてしまった。女性ホルモン(抗男性ホルモン)の注射は、男のパワーを損なうといわれていますけど、本当でした。夜のほうも駄目になるし、若い女性を見ても何とも思わんようになった。まあ、これも不安だし、不満だし」と、お得意の冗談交じりにインタビューに答えています。

主治医の猛反対を押し切り「生涯現役」にこだわった杉原プロは、がんの抑止に効果的な食品等を習慣として積極的にとり入れ、加圧式の筋力トレーニングでパワーを維持しながらツアーに出場し続けたのです。2001年の静岡オープン以来「レギュラーツアー」の予選通過はありませんでしたが、2006年の「つるやオープン」で、58試合ぶりに予選通過を果たしています。68歳10ヶ月での予選通過は日本ツアー最年長記録であると同時に、PGAツアーのサム・スニードが達成した67歳2ヶ月をも上回る大記録でした。永久契約を結んでいた「マンシングウェア」のデサント社の担当者が東京から足を運び、遺族に手渡された「来季契約書」が、翌日の葬儀の際に棺に入れられたという粋な計らいは、杉原ファンに大きな感動を与えました。

「伝説的なエピソード」としては、「誰もいなくなった練習場の200ヤード先にキャディを座らせ、ドライバーやフェアウェイウッドで打ったボールを、キャディは座ったまま手を差し伸べれば拾えた」というのがあります。それだけ杉原プロのボールコントロールは正確だったということです。中部銀次郎さんは生涯アマチュアを貫きながら、プロトーナメントで優勝した実績を持つという、これまた伝説的な人物ですが「なぜプロにならなかったのか」との質問に、杉原プロの練習を見て「プロの生き方にショックを受けたから」と答えたことが残されています。真夏の最も暑い時間帯に、ゴルフ場で最も暑く、風も通らないホールへわざわざ行って練習をこなし、寒い冬も同じで、いつも最悪の条件で練習をする杉原プロの真摯な姿勢に、中部銀次郎さんは驚かされたのでしょう。

杉原プロの68歳の名言です「練習の虫かって?そんなこと思ってないよ。むしろ足らなかったと思っています。だって朝9時前後から昼までやったって、300球とか500球がせいぜいでしょう。500球なんて急がなきゃできない。急いだら練習になりません。最高でも700球ぐらいしか打ったことないですわ。これじゃ足りん。無我夢中で上手くなりたいと思っていただけで、能率のいい練習なんて解らんかった。ただ先輩やグループの中で見よう、見まねでやっていただけで、そんなやり方じゃあね。まあ、時間があったら練習するというのはプロなら当然ですやろ。1日400〜500球じゃ話にならん。たまたま勝負運がよくて、それで勝たせてもらったと思っています」というのがありますが「勝たせてもらった」という部分がいかにも杉原プロらしいですね。

初日が雨によるコースコンディション不良となった「2010・つるやオープン」で、中止の発表まで待たされたギャラリーのために、ずぶ濡れになりながら20分間練習場で絶妙なショットを披露し、中止が決まるとサイン会を開催したのは72歳の杉原プロでした。「生涯現役」にこだわり、ファンを愛し、ゴルフを愛した杉原プロ。「人間、夢と欲があるから努力するのとちゃうか」という「名言」が想い出されます。

合掌

 

 

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