7月1日2019年
「全米オープン」最終日は、
1打差の首位でスタートした35歳の
ゲーリー・ウッドランドが
4バーディ、2ボギーの「69」でプレーし、
通算13アンダーと逃げ切り
「メジャー初制覇」を成し遂げました。
2018年2月の「ウェイストマネジメント・
フェニックスオープン」以来となる通算4勝目ですが、
最終18番パー5では9mのバーディパットを沈め、
大きなガッツポーズでギャラリーの大声援に応えていました。
野球をはじめ、小さい頃から
あらゆるスポーツを楽しんだということですが
様々なスポーツを教えたのは父・ダンさんでした。
「父が唯一僕のコーチでなかったのがゴルフだったんだ、
スコアで初めて父を負かしたのが
13歳のときだったと記憶している。
ただし、バスケットではその何年か後まで敵わなかった」と、
父親との思い出を振り返っています。
たぐいまれな運動能力を持つG・ウッドランドは、
高校卒業後、地元ウォッシュバーン大に
バスケットの特待生として入学しますが、
後にNBAの人気選手となる
カーク・ハインリッヒという選手と
マッチアップする中で、レベルの差を感じ
プロゴルフに転向したといいます。
2016年にギャビー夫人と結婚し、
翌年には父親になりましたが、
妊娠中に、生まれてくるはずだった
双子の一人を流産。
同年6月、10週も早く生まれてきたジャクソンくんも、
わずか1360gと、その当時は悲しみで
ゴルフが手につかない時期もありました。
G・ウッドランドはその後、
家族での転戦生活を選択しました。
夫婦は精神的にも難しい時間を乗り越え、
2歳になる愛息はいま元気に成長しています。
「今朝起きて息子と妻とはテレビ電話をしたよ。
二人がいなかったのは残念だったけど、
家に帰るのが楽しみ。
何か月か先に、双子の女の子が生まれるんだ。
特別な意味がある。
僕は妻とずっと寄り添って、息子も来週2歳になる。
最高だよ。来週の誕生日パーティが本当に待ち遠しい」と、
家族が心の支えとなった事を明かしています。
「全米オープン」で「メジャー初制覇」を遂げた日は、
父の日でしたが「父がいなければ、
僕への接し方が違っていれば、
僕はここにいなかった。
息子に対して僕も父のようにありたい」と、
我が家で帰りを待つ愛息、
生まれてくる姉妹。
そして天国にいる息子にも
語りかけている様な勝利インタビューでした。
弱点だったショートゲームのレベルアップに成功し、
終始落ち着いていた姿が印象的な戦い方でしたが、
3日目を終えて1打差で2位のJ・ローズや
4打差3位のB・ケプカに期待が集まっていました。
なぜなら3日目に長いパーパットや
チップインパーを拾うG・ウッドランドのプレーが、
メジャーの最終日に破綻する可能性を
危惧する見方が大半だったからです。
ショートゲームを最大の弱点としていた
G・ウッドランドは、さらに優しい性格ゆえ、
勝負どころで攻めきれない印象がありました。
緊張感が高まる場面で、いつもと違う選択をすると
ミスが出やすくなるものです。
PGAツアーで3勝を挙げてはいますが、
メジャータイトルはそんなに簡単ではありません。
しかしG・ウッドランドのショートゲームは
最終日も安定していました。
勝負の分かれ目は、1打差の単独首位で迎えた
最終日の14番パー5でした。
第1打でフェアウェイをとらえ2打目は
レイアップを選択しようとしました。
このような場面では選手が攻めたがり、
キャディが止めることが多いものです。
しかしキャディが「攻めよう」と一言。
G・ウッドランドはアドバイス通りに
攻めてバーディを奪い、
その差を2ストロークに拡げ、
その後はショートゲームで
パーを拾いながら逃げ切りました。
G・ウッドランドはインタビューで
ピート・コーエン氏の助言に感謝を表しています。
ショートゲームの名コーチですが、
彼と練習するようになり、
格段にスキルアップしたといいます。
優勝会見で
「ゴルファーとしてのキャリアのスタートは遅いが」と
問われると、「バスケットをやっていたことで
闘争心は鍛えられた」と、答えています。
自らのウィークポイントを強みに変えたことと
キャデイとの強い信頼関係で
「攻める」ことを選択したのでしょう。
今大会ではプレッシャーがかかる場面でも、
ほとんどリズムを変えることなく
プレーし続けた姿が印象的でしたが、
子供達に起こった不幸を、家族で乗り越えることで、
プロゴルファーにとって
最重要ともいえるメンタル面を
改善することが出来たことが勝因でした。
様々な病気の方々との交流も有名ですが、
人間力を磨き、確かなスキルを身につけた勝利でした。
114年ぶりの3連覇という偉業に挑んだ
B・ケプカは、G・ウッドランドと3打差の
2位でフィニッシュしました。
3位タイからスタートでしたが、
前半の5ホールで4バーディを奪う
チャージを見せ、前半を終わって一打差となり
流れが来た様に感じましたが、届きませんでした。
1903-05年にウィリー・アンダーソンが達成した、
史上2人目の大会3連覇にはわずかに届きませんでしたが
「僕は良いショットを打ち続けたと思う。
良いプレーが必ずしも結果につながるわけではない」と、
答えました。
5月の「全米プロ」に続くメジャー連勝もかかっていた
B・ケプカでしたが、
4日間を通じてグリーン上で苦しみました。
決めれば最終組を回るG・ウッドランドへの
重圧になり得た最終18番の3mのバーディパットは、
カップ際でわずかに外れました。
「読みは良かったと思う。
カップの手前でわずかに右に行った。
自分ではどうにもできないこともある」と、
総括しています。
今大会の平均パット「1.60」は
全体で52位でしたが、惜しいパットの繰り返しでした。
「3連覇に近づけたことは本当にすごいことだと思う。
メジャーで戦うことは特別なこと。
3連覇のチャンスがあったなんて、最高にクールだ」と、
振り返っています。
2連覇を達成した選手が、
翌年大会で残した最高位は1952年のベン・ホーガンの3位で、
事実上114年前の記録に最も近づいた選手といえます。
快挙を逃したとはいえ成績は驚異的で、
直近のメジャー4大会は昨年の
「全米プロ」から優勝、2位、優勝、2位と安定しています。
「全英オープン」にも期待がかかりますが
「僕はアイルランドに行ったことがないけれど、
キャディの地元なんだ。すごく楽しみ」と、
長年コンビを組んできたリチャード・エリオットが
ポートラッシュの出身で、
全英会場を知り尽くしていることも追い風になりそうです。
松山英樹は6バーディを決めながら、
2ボギー1トリプルボギーをたたき、
週末に2日続けて「70」。
通算2アンダーの21位タイで7回目の
「全米オープン」を終えました。
4日間で奪ったバーディ数19は、
エリック・ファンローエンと並んで
出場156人ではトップタイでした。
1イーグルを加えると、
バーディ以下のホール数20で単独1位でした。
通算2アンダーという結果には
「ボギーも、ダブルボギーも、
トリプルボギーも打っていたら、
バーディを打っている感じはないですよね」と、
悔しさを言葉にしました。
課題としてきたパッティングも、
スタンスを狭めるなど試行錯誤を重ね、
平均パット1.53は全体で19位と上昇しています。
ドライバーショットの精度向上も感じながら
「マスターズのときよりはだいぶ良くなってきた。
ミスの曲がり幅は狭まってきたので、
ミスの回数をどれだけ減らせるかだと思います」と、
「全英オープン」に向けての課題を語っていますが、
久しぶりにパッティングの数値が上向きで、
今後の戦いに期待が持てます。
6月15日2019年
「リゾートトラストレディス」の
サンデーバックナインは、
ともに日本ツアー未勝利の
原英莉花とペ・ソンウの
マッチプレーの様相になりました。
しかし前半の4番から4連続バーディーを奪った
原の方に勢いがあり、
ペ・ソンウを1打リードして18番を迎えました。
しかし最終ホールでは、ペ・ソンウが粘り強く
バーディーを決めて原に追いつき、
決着はプレーオフにもつれ込みました。
18番を使用したプレーオフでは決着がつかず、
2ホール目は15番パー3に移動しました。
原は1打目をピン手前2メートルにつけますが、
ぺ・ソンウもピン奥4メートルにワンオン。
ぺ・ソンウがバーディパットを外した後、
原が冷静にバーディーパットを決めるという決着でした。
原の師匠は日本のレジェンド、ジャンボ尾崎ですが
「2勝目が大事だと言われています」と、
さらなる進化を誓っていました。
1998年4月から99年3月生まれの女子プロは
「黄金世代」と呼ばれていますが、
畑岡奈紗、新垣比菜、大里桃子、勝みなみ、
河本結、渋野日向子に続く同世代7人目の優勝でした。
ペ・ソンウは本戦の18番バーディーで
エネルギーを全部出し切ってしまい、
プレーオフは原の方が気持ちで押していた様に思います。
原は「日本女子オープン」で予選落ちした後、
すぐにジャンボ邸へ向かい、
師匠の前でボールを打ったそうですが
「調子が悪いという話をしたら、
正面から見て無言で立ち去ってしまって、
調子が悪いから直してもらうというよりは、
こういうときはどうすれば良いのかという
質問の方が答えてくれます」と、話しています。
スケールの大きなスイングは
最後まで変わりませんでしたが、
緊張する場面での対処法を師匠から教わり、
それをしっかり守ったことが勝利を呼び寄せたのです。
もうひとつの勝因は、ジャンボから譲り受けた
パターに替えたことだといいます
「私が悩んでいるときに、
「バンテリンレディス」の会場に送ってくれました。
急に替えるのは怖くて、
結局その週は使わなかったら
『なんで使わないんだ!』と怒られました」と明かし、
「パナソニックオープンレディース」から、
ブレード型からオデッセイ『EXOパター』シリーズの
マレット型に替え「フィーリングが良くて、
パット数もあからさまに良くなった」と、
スコア改善に役立ったようです。
ジャンボが原に自ら選んだパターを与えたのは、
パットさえ入ればすぐに勝てると見抜いていたのでしょう。
12試合を終えた2019年の女子ツアーですが、
ここまで11人が優勝を手にしています。
その11人は「黄金世代に属している」新世代か
「過去に賞金1億円以上を稼いでいる」
実力者に二分されています。
ツアー3勝目(アマ時代1勝含む)を
挙げた勝みなみに、
嬉しい初優勝を挙げた河本結、
渋野日向子、原英莉花と、
今季の優勝者のうち1998年度生まれの
「黄金世代」は4名になりました。
残りの7名は、比嘉真美子、鈴木愛、
上田桃子、成田美寿々、シン・ジエ(2勝)、
イ・チヒ、イ・ミニョンですが、
過去に単年の賞金額が1億円を超したことのある、
ツアー屈指の実力者たちです。
圧倒的な勢いか、圧倒的な実力がなければ
勝てない様に感じられますが、
勝っている「黄金世代」の選手たちは
プロになって急に強くなったわけではなく、
アマチュア時代からレベルが高く、
パワーもあって飛距離のアドバンテージも持っています。
男子ツアーは平均300ヤード時代に
突入しつつありますが
「黄金世代」の台頭により女子ツアーも
平均飛距離が上昇、そのことで
ツアー全体のレベルも上がりました。
女子ツアーも平均250ヤード時代に突入し、
260ヤードも見えてきています。
たとえば2オーバーのカットラインが
1オーバー、イーブンパーとレベルアップしています。
優勝スコアも上がっていますし、
勝つためには、よりアグレッシブな攻め方が
求められようにもなっています。
既存の選手はレベルが上がってこないと
消えていってしまうという状況です。
今の時代はSNSのを利用することにより、
プロとアマチュアで情報の格差が無くなっています。
クラブやフィジカル、バイオメカニクスなど、
高度な情報に基づいた指導を
プロになってから学ぶのではなく、
アマ時代から学んでいるのも
「黄金世代」台頭の理由でしょう。
「ミズノオープン」の 最終日は、
33歳の池田勇太が
5バーディ、4ボギーの「71」とまとめ、
通算7アンダーで2018年9月の
「ダイヤモンドカップ」以来となる
ツアー21勝目を挙げました。
「この1週間いい戦いができた。
2日目に苦しい部分もあったけど、
難しいコースセッティングで
優勝までもって行けたのは良かった」と、
明るい表情で振り返っています。
2位に1打差の単独首位でのスタートでしたが
「きょうも早いうちに
いい流れを作れたのは良かった」と、
3番のパー5で2オンに成功しバーディを先行すると、
4番のパー3で奥のカラーから5mを沈めます。
続く5番でピン手前3mを沈め
3連続バーディと一時は独走状態になりました。
中盤に2つ落として迎えた15番で5mを
ジャストタッチで決め、
2位のチャン・キムとの差を3打に広げます。
しかし17番パー3でボギーを喫すると、
バーディを奪ったC・キムに1打差に迫られてしまいます。
池田は「まだ1打リードはあった」と、
慌てることなく逃げ切りましたが、
C・キムとは予選ラウンドを含め
3日間を一緒にプレーしています。
「最後までいい戦いができたのは彼のおかげもある」と、
最後までプレッシャーをかけ続けた
強敵に敬意を表していました。
2009年からの11年連続のツアー優勝は、
憧れる尾崎将司の15年連続(1986年~2000年)に次ぎ、
青木功(1973年~83年)、
片山晋吾(1998年~2008年)と肩を並べる
2番目に長い記録になりました。
「ジャンボさんが作ってきた記録を
目指してやらないといけないし、
11年連続は非常にうれしいこと」と、
喜びを素直に言葉にしましたが
「国内なら勝つのはオレ」と言わんばかりの
威風堂々たる姿は、
さながら全盛期のジャンボ尾崎の様にさえ感じました。
今年4月に東北福祉大の先輩、正岡竜二から
「L字パターにしてみたら?」という助言を受け、
ブリヂストン製のL字型
「ジャンボ尾崎90勝記念パター」を使用しています。
「自分が打ちたいと思う場所に打ち出せる」と、
大きな武器となり、
今大会では平均パット数で1.6977(3位)をマーク。
当初は「オリジナルのまま残しておきたい」と
考えていたようですが、長さや重さを
変えながら少しずつ調整し数週前から使っています。
会場のザ・ロイヤルゴルフクラブは、
波を打った傾斜に対してタッチと方向性を計算し、
ラインを読み切らなければ
意図せぬ方向へ転がり落ちてしまうという、
速くて硬いグリーンに仕上がっていました。
8000ydを超える距離を題して
「モンスターコース」と呼ばれましたが、
本当の意味で選手らが恐れたのは、
日々異なる顔を見せた
高速グリーンだったのかもしれません。
「今季は『マスターズ』も『全米オープン』も
出られなかったので諦めていた」と、
試合後に話していましたが「全英オープン」の
切符を手に入れ、
大いに力を発揮してほしいと思います。
海外メジャーの成績は、
2010年に初出場した
「マスターズ」29位が最高位ですが、
舞い込んだチャンスを生かしてくれそうに
感じる勝ち方でした。
男女のツアーで「昭和のレジェンド・ジャンボ」の
影響力が、話題になった一週間でした。
6月1日2019年
メジャー第2戦「全米プロゴルフ選手権」は、
昨年の覇者ブルックス・ケプカの連覇で終了しました。
2位に7打差をつけてスタートしたB・ケプカは
中盤で崩れ、一時はダスティン・ジョンソンに
1打差まで迫られましたが、
06年、07年のタイガー・ウッズ以来となる、
大会史上7人目の大会連覇を達成しました。
3打差の2位にはD・ジョンソン、
トータル2アンダーの3位タイには
パトリック・キャントレー、ジョーダン・スピース、
マット・ウォレスの3人が入り、
トータル4アンダー・6位タイと好位置からのスタートで
期待された松山英樹は、
3バーディ・6ボギー・2ダブルボギーの「77」と
苦しいラウンドで、トータル3オーバーの16位タイまで
順位を落として4日間を終えました。
「マスターズ」で復活優勝を果たした
タイガーは予選落ちでした。
優勝しても「まぐれだったのかも?」とか
「また勝てるとは限らないし、自信なんて持てない」と
弱い気持ちでいたのでは、
プロゴルファーとして次の成功は見込めません。
おごりや油断は禁物ですが、
タイガーのように
「一度成功したことは、自分にはできること」と、
次のゴールに向かって自信を持って、
迷いなく突き進むことが成功へ近道です。
「マスターズ」で優勝したいからといって、
新しいことをするわけではありませんが、
タイガーは6カ月前に「マスターズ」に向けて準備を開始し、
開幕週にピークが来るように調整していたといいます。
B・ケプカもメジャーに照準を合わせて
スケジュールを調整していますが、
終わってみれば4日間首位を譲らない完全勝利でした。
17年「全米オープン」での初優勝から
メジャーは8戦4勝とその勝率は圧倒的で
世界ランク1位に返り咲きましたが、
次戦は3連覇のかかる「全米オープン」です。
開幕前に「メジャーのほうが勝つことが
簡単である場合もある」と話した「メジャー男」の
快進撃はまだまだ続きそうです。
奇跡のようなスーパーショットやスーパーパットより、
72ホールの長丁場を我慢強く戦い抜く
地道な努力と強い精神力、
何より忍耐こそが何よりの武器になることを、
終盤の自身のラウンドで証明した戦いでしたが、
「ピーク」をメジャーの週に合わせることは
難しいものです。
タイガーは「マスターズ」でそれを
やってのけたのですが、
まるでつつじの花が「マスターズ」開幕に
満開になる様に調整するのと同じようでした。
ゴルファーには調子の波があり、
好調と不調が交互にやってきます。
そのバイオリズムを「マスターズ」に合わせないと
優勝は難しいでしょう。
タイガーは「すべての小さなことを
正しくやり続けること」と語っています。
ミスしたとしても、大ケガのない
正しいポジションに何度も運び続け、
ボギーを叩いても、そのことに引きずられずに
やり過ごす。そして目の前の1打1打を
大事に積み重ねていくことで、
大きな波を引き起こせるということなのです。
無理な攻め方を選択するより、
地味にコツコツと正しいことを積み上げることが
「ミラクル」に繋がります。
タイガーがメジャー15勝、
ツアー81勝を挙げてこられたのも、
この小さな積み重ねから始まっているのです。
21歳3ヶ月で「マスターズ」に初優勝したタイガーも
今や2児の父であり43歳です。
トレーニングをしっかりやっているタイガーでも、
体力の衰えや体の変化は止めることができません。
ケガを繰り返し、何度も手術していることもあって
「もはや昔の若い頃の体ではない。
練習も昔のように長時間、
一つ一つに渡ってやることはできない」と
自覚しています。
ツアーで戦える飛距離と
ショットの精度を持ち合わせているのは、
年々進化を遂げているクラブに頼る事を受け入れたからです。
以前のタイガーなら
「カチャカチャドライバー」は使わなかったでしょう。
「クラブを最後に変えたのはマッチプレーのとき。
ドライバーと3Wのシャフトを
ちょっと軽めのものに変えたのは、
首に違和感があるからだ。
軽めのほうが体に負担をかけずに振り抜けるし、
弾きがよくなるので、飛距離も多少伸びるからね。
アイアンは、あちこち改良を加えているが、
基本的には昔から使っているものとあまり変わらない。
ウェッジに関しては、ソールの削りの違うものを
芝の種類ごとにいろいろと使い分けているが、
これが最も大きな変化の一つだろうと思う。
そしてグルー(粘着剤)で装着した
ホーゼルではないタイプのクラブを使うことも
大きなチャレンジの一つだった。
今まで使ったことがなかったからね。
今はテーラーメイドのスタッフに
いろいろやってもらったり、
J・デイ、R・マキロイやD・ジョンソンから
情報をもらうことで、
最近のクラブのテクノロジーを理解し、
球の打ち分けもできるようになった。
今でも取り組んでいる最中」と語っています。
もともと小ぶりのヘッドのドライバーと、
マッスルバックのシャープなアイアンが好きなタイガーは、
新製品が出てもすぐに飛びつくタイプではなく、
クラブにはこだわりがある頑固なタイプでした。
最近は年齢とともに軽めのシャフトを試したり、
シャフトを簡単に入れ替えることのできる
「カチャカチャドライバー」を試すという
柔軟性も持つようになったのです。
若い頃の体力や動きができないことを
十分認識しているからこそ
「フィーリング」よりも「やさしさと結果」を
求める方に重点を置き、
時代の流れを受け入れたことで、
さらなる活躍にも期待が持てます。
「マスターズ」で安心感を感じたのはパッティングでした。
改めて大会のパッティングデータを見てみたところ、
他の選手に比べて際立って
安定していたわけではありませんが、
勝負どころできっちり決めて、
昨年の数試合のように
何度もと違うパターを使っていた
タイガーとは変わっていました。
タイガーは今回でメジャー15勝となったのですが、
そのうち14回を今大会と同じ
「タイトリストニューポート2GSSプロト」で勝っています。
このパター以外で優勝したのは、
メジャー1勝目となった97年の「マスターズ」だけです。
ちなみにこの時はカッパー系のトレリウムインサートが入った
「スコッティ・キャメロン
トライレイヤード ニューポート2」でした。
アマチュア時代のタイガーは
「PINGのアンサー2ステンレス(PAT.PEND)」を使用しており、
プロ入り後に選んだキャメロンパターも、
そのアンサー2をモデファイした「ニューポート2」と、
ヘッドの好みは終始一貫しています。
実際は、毎年のようにバックアップ用の
スペアパターが渡されていますが、
試合で使うのはただの1本です。
使い込まれ、アタリ傷が無数についていますが、
1本のエースパターから
ゴルフ史に残る多くの
名シーンが生み出されてきたのです。
メジャーを数多く制したパターといえば、
ジャック・ニクラウスの
「ジョージ・ロー ウィザード600」が有名です。
J・ニクラウスはメジャー18勝のうち16勝を
このパターで挙げています。
タイガーがスペアパターすら使わないように、
名プレーヤーとエースパターは
常に1人と1本の強い絆で結ばれています。
同じモデルならいいわけではないし、
まして名手のエースパターが、
違うプレーヤーのエースになれるかといえば
そんな保証はどこにもありません。
学ぶべきことは、歴史に名を刻む名手たちは、
共通して同じパターを使い続けたということで、
自分の感覚でパターを選び、
それを数十年にわたり「使い続けた」ことなのです。
5月15日2019年
10月に日本で初めて「PGAツアー」が開催されます。
「ZOZO選手権」は、新シーズン開幕直後の
アジアシリーズのひとつに組み込まれ、
賞金総額975万ドル(約11億円)のビッグイベントです。
日本男子ツアーとの共催という形ですが、
会場となる千葉県のアコーディア・ゴルフ習志野CCでは
現在、急ピッチで準備が進行中だということです。
3月初旬にはPGAツアーのスタッフたちが
コースの視察をすでに終えていますが、
この大会の運営を統括する責任者である
トラビス・スタイナー氏は
「運営準備には半年から8カ月かかる。
逆算して準備を進めている。日本は米国に次いで、
世界で2番目の市場規模を誇るゴルフ大国。
PGAツアーは長年、大会の開催を検討していた。
韓国での「ザ・CJカップ@ナインブリッジ」の
開催は大成功だった」と、
日本初開催への期待も大きい様です。
1968年に「全米プロゴルフ協会」から
独立して誕生した「PGAツアー」は、
米国外でも大会を開催していますが、
アジアでの開催は中国、マレーシア、
韓国に続き4カ国目となります。
「特別なことがあったわけでなく、
機が熟したというタイミングなのだと思う。
テクノロジーやメディア、すべてが発達して、
ますます日本での開催が望まれる状況になった。
アジアでのツアー展開に日本は不可欠。
すでに中国、韓国では成功を収めている。
単発とはいえ、日本でも2001年に
ワールドカップを開催した。
アジア市場の要として
日本開催の機会をうかがっていたが、
今がまさにその時なのでしょう」と
「ZOZO」という気鋭のパートナーとタッグを組み、
待望の瞬間に向けて準備を進めています。
アコーディア・ゴルフ習志野CCは、
キングコースとクイーンコースの計36ホールですが
「ZOZO選手権」では両コースからホールを選び、
普段の営業時とは異なる18ホールを構成する予定です。
PGAツアー選手の技術やパワーを引き出せるよう、
後方にティグラウンドを新設中の
ホールもいくつかあります。
PGAツアーのシニアレフリー、
マーク・ダスバベック氏は、
フェアウェイのライン取り、
日々のピンプレースといった
コースセッティングに関する多数の業務のほか、
会場全体の環境整備もプランニングしています。
頭を悩ませているのが練習場の設営ということです。
一般営業の際のドライビングレンジは
PGAツアーの要求に対して狭すぎるということです。
300ydのショットを許容する必要があるのですが、
36ホールのうち競技で使わない
ホールを利用することになりそうです。
「PGAツアー」には一つの哲学がありますが
「我々が海外で試合を開催する際に
いつも心がけているのは、
ローカルの伝統を大事にしながら大会をつくること。
今回も日本の持ち味を消して運営をするつもりはない」と、
語っています。
習志野CCはかつて、1974年から97年まで
「サントリーオープン」を開催し、
世界のトッププロも来日してプレーしています。
「世界にはもっと古いコースもありますが、
習志野にはそれに負けない並木の景観美がある。
新鮮で雰囲気が素晴らしい。
自然美にコースがうまく溶け込んでいる。
レイアウトも面白く、
仲間がここを選んだ理由が分かる」と、
好感を持っている様です。
PGAツアーとしては、
アメリカ的なコースを望むのではなく
「日本の開催だからこそ、
日本の特徴があるコースでやりたい」と
いうことなのです。
日本サイドが最初にコースの構成を提案した際には、
距離の長いホールばかりを
組み合わせていたということですが
「距離が重要じゃないんだ。
選手にとってフェアなのか
アンフェアなのかを重要視している」ということで、
やり直しを求められたということです。
PGAサイドの交渉はZOZOの幹部はもちろん、
開催地の千葉県印西市をはじめとする
行政機関とも行われています。
駐車場や交通渋滞を考慮すると、
話は地域社会全体に及びます。
警備のほか「バイリンガルのボランティアが足りない」と、
在日米国大使館にも協力を要請しているといいますが、
日本でなら安心して大会が実施できると
期待していることがあるそうです。
「来場者のマナーは選手にとって、非常に重要。
他の地域で開催したときはマナーの悪い観客もいて、
心労を抱える選手もいた。米国内でも規制は大変。
けれど、日本では心配していない。
選手たちもそれがすぐに分かると期待している。
プレーヤーにとっては最高の環境だ」と、
ギャラリーと共に、
素晴らしい大会にしたいという熱意が伝わってきます。
4月のメジャー初戦「マスターズ」で
14年ぶりに優勝したタイガーが
「大統領自由勲章」を受章しました。
トランプ大統領は授与式で
タイガーのアマチュア時代からのキャリアを紹介し
「タイガーは激しい痛みと戦い、ゴルフ界の頂点に戻るべく、
すべてと向き合った。マスターズでの出来事はゴルフ、
スポーツにおける最高の復活劇のひとつだ」と称えました。
タイガーはキャリアで4回の腰の手術を経て、
オーガスタで2008年「全米オープン」以来となる
メジャー通算15勝目を飾りました。
その間には不倫問題、交通事故による逮捕といった
プライベートにおけるトラブルでも世間を賑わせましたが、
大統領は「我々はタイガーが成し遂げたことに
触発されている。肉体的な逆境を乗り越え、
勝利への執念をずっと持ってきた。
これこそが、境界をひろげ、限界に挑戦し、
常に偉大さを追求する
アメリカンスピリットを体現している」と、
最大級の賛辞を送っています。
出席者に長い拍手で迎えられたタイガーは
「信じられないような経験だ。僕は戦い、必死に耐え、
すばらしいゴルフをもう一度やろうとしてきた。
その機会を持てたことはとても幸運だったと思う。
マスターズでの驚くべき体験は、
僕の人生やゴルフキャリアにおけるハイライトだ」と、
スピーチしています。
ゴルフ界では04年のアーノルド・パーマー、
05年ジャック・ニクラウス、
14年のチャーリー・シフォードに続く受章ですが
「チャーリーの次のゴルファーに選ばれたことは
特筆すべきこと」と、有色人種として
初のPGA選手となった故C・シフォードに続くメダルを
喜んでいまいた。
授与式には母のクルチダさん、
長女サムさん、長男チャーリーさんのほか、
ガールフレンドのエリカ・ハーマンさん、
そしてキャディのジョー・ラカバも招かれました。
不倫が発覚して離婚した時、
あるいはSEX依存症でリハビリが必要と言われ、
それを世間に公表した時に、
タイガーは今までの人生で最も苦しい時期を
過ごしていたはずです。
タイガーの財産があれば、
ゴルフをやめても一生不自由なく
生きることはできたはずです。
しかしどんな困難があろうとも、
ゴルフをすることをやめず、
ツアー復帰をあきらめなかったからこそ、
先日の感動的な優勝が生まれたのです。
あきらめずに扉を叩き続ければ、
きっとその扉はいつかは開き、
次のステップへと進むことができることを
証明して見せたのです。
タイガーは昨年「ツアー選手権」に勝ったことで
「自分はまだ勝てる」と、
大きな自信を持つことができ
「マスターズ」でも優勝することができたと
振り返っています。
タイガー自身「ツアー選手権での勝利」を
「ビッグ・コンフィデンス・ブースター
(大きな自信の増幅器)」と語っていますが、
こうした成功体験を大きな自信に変え、
迷うことなく次の目標に向けて取り組む準備と、
真摯に取り組む姿勢が、
スポーツ選手成功の秘訣なのでしょう。
おめでとう、そしてありがとうタイガー。
5月1日2019年
メジャー初戦の「マスターズ」は、
2位タイからスタートしたタイガー・ウッズが
6バーディ、4ボギーの「70」でプレーし、
通算13アンダーとして逆転優勝を果たしました。
2008年「全米オープン」以来となる
11年ぶりのメジャー通算15勝目を挙げ、
完全復活を成し遂げました。
「マスターズ」制覇は2005年大会以来で、
5度目ですが、
18年「ツアー選手権」に続く米ツアー通算81勝目となり、
故サム・スニードの最多勝利記録にあと1勝と迫りました、
タイガー、F・モリナリ、T・フィナウの最終組が
後半10番に入った時点で、首位F・モリナリと
2打差以内はタイガーを含め4人。
しかしF・モリナリが12番パー3で
池に打ち込みダブルボギーをたたき
タイガーが首位に並ぶと、
2打差以内は11人が並ぶという大混戦になりました。
最終組のタイガーは15番でバーディを奪って
単独首位に立ち、1m以内につけた
16番のバーディでリードを広げ勝利しました。
タイガーが勝った2005年の最終日16番パー3で、
一度止まりかけたボールの
ナイキのロゴがゆっくり動き出し、
カップに消えた大会史に残る名シーンを
覚えている方も多いと思います。
タイガーは赤いモックネックシャツを
黒いパンツに合わせていました。
03年のはじめに着用を始めた
襟の短い半袖シャツは
当時「ゴルフにそぐわない」という見方から
物議をかもしたこともありました。
今年の「マスターズ」では、
契約を結ぶナイキが強さの象徴として
タイガーの専用モデルとして、
最新のテクノロジーを詰め込んで
モックネックを復刻しました。
復活を信じてタイガーを見捨てなかったナイキは、
タイガーの復活を祝福する広告動画を公開しました。
マスターズ5勝目、メジャー通算15勝目ですが、
その戦い方はこれまでとまったく違っていました。
飛距離でアドバンテージを取り、
トラブルを招いても奇跡的なショットで
リカバリーする派手なゴルフではなく、
経験を手掛かりに一打ずつ確実に
スポットをとらえることに集中するゴルフでした。
初めてマスターズで勝った1997年、
タイガーのドライビングディスタンスは323.1yd、
2勝目の2001年は305.5ydでいずれも全体1位。
3勝目の02年は293.8ydで6位、
05年は292.4ydで4位でした。
それが今回は294.5ydに伸びたにもかかわらず、
順位は44位に後退しています。
タイガーは「プロになったとき、
ジムにいるのは僕とビジェイ・シンだけだった。
それが今はみんながトレーニングをする。
ゴルフをする以前に体を鍛えている。
あのフィル・ミケルソンですら
ワークアウトに取り組むんだ」と
取り組み方の変化を語っています。
5着目のグリーンジャケットを待つまでの14年で、
プロゴルフは様変わりしましたが、
きっかけはタイガー本人だったのです。
タイガーは父としての新しいモチベーションを
持つようにもなっています
「子どもたちは僕にとってゴルフが
どんな意味を持つのか、僕がどんなことをやってきたのか
理解し始めている。カムバックするまでふたりは、
ゴルフは僕を痛めつけるものだとしか感じていなかった。
これから僕らは、新しい思い出を作っていく」
とも語っています。
2011年からバッグを担ぐ
キャディのジョー・ラカバは
「懸命さを失わない一方で、リラックスしてプレーする、
世界の期待を背負いこまないように。
力を抜いて、状況を楽しもう」と、
ラウンド中のタイガーとの会話を振り返っています。
昨年の「全英オープン」「全米プロ」での
6位、2位の好成績が復活の兆しでしたが、
ウィニングパットを決めて向き合ったときは
「いつものように“We did it! “(やったぜ!)
”All the work paid off”(努力が報われた)と
彼は言っていた。
たくさん言葉を交わしたわけじゃなかったよ」と
優勝の瞬間を明かしています。
J・ラカバは長年、米ツアー15勝を誇る
フレッド・カプルスのキャディを務め、
1992年大会の優勝をアシストしています。
タイガーが不振の真っただ中にいた
2011年9月にスティーブ・ウィリアムス氏から
エースキャディの役目を引き継いぎ、
その後の深刻な腰痛による低迷期も、
他のツアープロには目もくれず、
ボスの復活を信じ、そばで見守っていました。
「タイガーはみんなとハイタッチをしたり、
しゃべったり、サインもたくさんして、
ゴルフを楽しむようになったと思う」と
43歳になったスーパースターの近況を語り
「同じ組の選手たちともたくさん話すんだ。
18番でたくさんの選手たちが
彼を待ち受けていたことで分かるだろう」と、
結果にとどまらない変化を喜んでいました。
この記念碑的な勝利の舞台となった
「マスターズ」は、1934年から今日に至るまで、
米国ジョージア州の
オーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブで行われている
伝統ある大会です。
米国メジャー大会の中で唯一コースが変わらず、
独特の観戦ルールが存在することでも知られています。
格式高い「マスターズ」の正式な入場者数は
発表されませんが、一説によると日によっては
5万人以上とも言われるパトロン
(マスターズでは「ギャラリー」のことを
「パトロン」と言う)が訪れるとされています。
そのため、入場ゲートは横長の
広大なスペースに設けられ、
ディズニーランドの入場ゲートのような華麗さがあり、
会場入りする前からワクワクさせてくれます。
荷物チェックは超厳重で、
カバンの中身のチェックはもちろん、
飛行機の搭乗時のように金属探知のゲートをくぐり、
時にはボディーチェックも行われます。
厳しいチェックをクリアして無事に入場すると
「ウェルカムオーガスタ」「エンジョイマスターズ」などと、
スタッフが笑顔で声をかけてくれるのも
「マスターズ」ならではのホスピタリティーです。
米国のゴルフトーナメントでは、
ギャラリーがスマホで選手を撮影している光景が
当たり前になっていますが
「マスターズ」では携帯電話が禁止されています。
使用が禁止なだけでなく持ち込みも許可されており、
見つかると入場バッジを取り上げられ即退場となります。
いつも何気なく操作している携帯がないことで、
パトロンもプレーだけに集中できるということになりますね。
テレビカメラもホールに隣接する
高台に設置されたカメラスペースに設置され、
そのエリアは緑のカバーで覆われ、
鮮やかなグリーンが印象に残る
マスターズの景色に溶け込んでいるため、
画面に映りこんでこないのです。
チケットは決勝ラウンドともなると、
1日当たり約2000ドル(22万円ほど)で
売買されると言われています。
これほど高価なだけに、
入場してからの食事なども豪華で高いものと
思いがちですが、サンドイッチは1.5ドルからあり、
ビールも4ドルと予想に反して安いということです。
「マスターズ」なりのこだわりは、
飲み物のカップや、
お菓子などの包装デザインがすべて
オリジナルロゴ入りになっていることです。
特にカップはお土産としても好評で、
ゴミ箱に捨てられたカップを探し出し
持ち帰るパトロンも多いそうです。
入場ゲートが開く前から並んで
早朝より席取り競争が繰り広げられますが、
コース内を走ることはNGです。
走ってしまったパトロンは、
イエローカードと同じくチケットにパンチ(穴)が
開けられてしまいますが、
1つ目が警告、2つ目が退場になるそうです。
ゴルフというスポーツは、
紳士のたしなみであったことから、
何よりも礼儀や格式を重んじる傾向にあります。
自分自身がレフリーという、
ゴルフという競技の矜持を、
今も示してくれるのが「マスターズ」なのです。
4月15日2019年
畑岡奈沙が今季出場4試合目で、
シーズン初優勝を手にしました。
1打差を追ってスタートした最終ラウンドを
6バーディ、1ボギーの「67」として
通算18アンダーで逆転し、
2018年「アーカンソー選手権」、
同年「TOTOジャパンクラシック」に続く
ツアー3勝目を飾りました。
このコラムが掲載される頃には終わっていますが、
メジャー初戦「ANAインスピレーション」に向け、
勢いづく勝利となりました。
1打差を追った元世界ランキング1位で
「リオ五輪金メダリスト」のパク・インビを逆転し、
参戦3年目の米ツアーで3勝目をつかんだ畑岡は
「インビ選手はトップで戦ってきた選手なので
一緒に回って緊張したけど、
自分のプレーに徹することができたと思う」と
喜びを語りました。
畑岡は出だしの1番で、1m強のチャンスを決めて
首位に並びます。
3番、5番といずれも1m以内につけて、
前半のアウトで3つ伸ばし、
1打リードの単独首位でハーフターン。
番のバーディでリードを3打に広げ、
迎えた最終18番をパーで締めくくりました。
これまでのツアー2勝はいずれも
3日間大会を制したもので
「フルサイズ」の4日間大会での勝利は初めてでした。
畑岡は「試合が始まる前は
こういう結果は想像できなかったけど、
日に日にショットが安定し、
パットも決勝ラウンドはすごく良かったので、
そこだと思います」と、勝因を言葉にしましたが、
これまでの3戦では優勝争いにからめていませんでした。
しかし積み重ねた世界ランキングポイントでは、
パク・インビを上回っていたことも
自信になったのでしょう。
今大会は初日に「69」として、
4ラウンドぶりにアンダーパーを記録。
18位で滑り出すと、2日目は「70」として9位に浮上。
3日目はフィーリングがさらに合い「25」パットとし、
無傷で8バーディを重ねて
自身の今季ベスト「64」をマーク。
首位と1打差の2位に浮上し、
最終日も「67」で後続を振り切る勝利でした。
畑岡は高校在学中の2016年「日本女子オープン」で
「国内メジャー史上最年少優勝」を
初のアマチュア制覇で飾り、周囲を驚かせました。
同年に日本人最年少(17歳271日)でプロに転向し、
QTに合格し主戦場を米国に移したのです。
しかし1年目は勝利に届かず、
QT再挑戦で臨んだ2年目の2018年6月に
「アーカンソー選手権」で初優勝。
11月の「TOTOジャパンクラシック」で2勝目を挙げ、
現在は「東京オリンピック」に一番近いプレーヤーです。
日本人の米ツアー3勝は、
2017年「テキサスLPGAシュートアウト」を制した
野村敏京に続いて5人目。
勝利数では岡本綾子(17勝)、
宮里藍(9勝)、小林浩美(4勝)に次ぎ、
野村とは勝利数で並んだことになりました。
畑岡は日本滞在中に花粉症から
風邪のような症状になり、
最終日の前夜はあまり寝れなかったということです。
帯同して米ツアーを転戦している
母・博美さんによると
「隣で寝ていて、ゴホゴホやっていたので
心配しました」と、午後10時に就寝したものの、
30分ごとに咳で目が覚めてしまうような
夜だったということです。
最終日のラウンド中もしばしば咳払いをしていた畑岡は、
「13番くらいから咳がひどくて、
うまく集中できなかった」ということですが、
厳しい体調の中でつかんだ勝利でした。
「アクサレディス」は、4打リードの単独首位から
スタートした20歳の河本結が
4バーディ、2ボギーの「70」でプレーを終え、
後続に5打差をつける通算15アンダーで
ツアー初優勝を飾りました。
河本は2018年のプロテストに合格したルーキーで、
日本体育大の現役女子大生です。
下部ツアーで4勝を挙げ賞金ランキング1位になり、
今季前半の出場権を獲得しました。
最終日はスタートホールでボギーをたたいたものの、
首位の座を譲ることなく独走で優勝を決めました。
日本勢の開幕4連勝は2005年の11試合連続以来、
14年ぶりとなりました。
最終日最終組には河本結(20)、臼井麗香(20)、
脇元華(21)と昨年プロテストに合格し、
初優勝を目指すツアールーキーたちが
揃い話題になりました。
今季のシード選手50人の平均年齢は26.4歳で
記録が残る2001年以降では
過去最年少と若返りが目立ちます。
ジュニアのアマチュアが「主催者推薦」で
大会に出場することも多くなりましたが、
良い意味で、緊張しない子が多くなりました。
ジュニアの頃からツアーに何度も出ているため、
ツアーに慣れてからプロに転向するからなのでしょう。
女子ゴルフ世界ランキングが発表され
「キア・クラシック」優勝により64ポイントを加算した
畑岡奈沙が3ランクアップし、
自己ベストの4位に浮上しました。
これまで最高だった5位を更新し、
初のトップ3まで平均ポイント差
「0.04」に迫っています。
1位のパク・ソンヒョン(韓国)、
2位のアリヤ・ジュタヌガン(タイ)、
3位のミンジー・リー(オーストラリア)に
動きはありませんでしたが、
トップも射程圏内に入ってきました。
国内ツアー「アクサレディスゴルフトーナメント」で
初優勝を飾った河本結は18.5ポイントを加算し、
106ランクアップの103位に躍進しましたが、
畑岡とは同学年です。
畑岡に次ぐ日本勢は、
26位に鈴木愛、42位に比嘉真美子、
58位に前週優勝した上田桃子、
63位に小祝さくら、
64位に成田美寿々が続いています。
畑岡は「平成最後のメジャーで勝ちたい。
令和になっても活躍できるよう頑張りたい」と
目標を掲げました。
好調が長続きするタイプなだけに
1977年の「全米女子プロ」を制した
樋口久子以来の日本人メジャーVの期待が膨らみますが
「絶対に東京オリンピックに出たい」と
公言している畑岡は、さらなる進化を求めて
妥協なき姿勢を続けています。
昨年12月に、東京五輪強化指定選手を対象とした
JGA開催の合宿に、比嘉真美子、
鈴木愛とともに参加しました。
技術面はアマチュア時代から師事する
JGAナショナルチームヘッドコーチの
ガース・ジョーンズ氏とブラッシュアップを進める一方で、
新たに栄養面のレクチャーも専門家から受けたといいます。
JGA競技者育成担当部長の内田愛次郎氏は
「すでにアマチュアの国際大会などに
出場するナショナルチームで導入していたが、
五輪強化指定選手合宿で12月から新たに実施した。
ゴルフのパフォーマンスにどのくらいの栄養を
摂取しないといけないかや、プレー中のドリンクや
食べ物についても専門家の講習を行った」と説明しました。
新たな取り組みの効果について、内田氏は
「質のいいガソリン(食事)で
エンジン(選手)を動かすイメージ」と表現しています。
今年1月から米フロリダ州に拠点を構える畑岡は、
日々のトレーニングに加えて
「ハイオク」を摂取する食生活で、
実力を100%発揮できる肉体を作り
結果につなげたのでしょう。
同じ合宿に参加した比嘉は、
国内ツアー開幕戦「ダイキンオーキッドレディス」、
鈴木が2戦目「ヨコハマタイヤ・レディス」と、
開幕から日本人2連勝を果たしたのも
決して偶然とは思えません。
2018年度の女子強化指定選手8人のうち、
参加者3人全員が優勝を果たした
「勝率100%の神講習」となったわけです。
成長するためには技術面以外も
貪欲に学ぼうとする姿勢があればこそですが
「初のメジャー制覇」さらには
「東京五輪・金メダル」のために、
着実にステップアップを遂げているようです。
4月1日2019年
第5のメジャーとされるPGAツアーの旗艦大会
「ザ・プレーヤーズ選手権」は、
開催時期が13年ぶりに5月から3月に戻りました。
春先の開催は、メジャーを占なう上で
シーズンをさらに面白くしたと思います。
優勝したR・マキロイは3月に行われることで
「ライグラス(寒冷地用の芝)のコースは、
選手の技術がより発揮されやすくなる」と
語っていましたが、R・マキロイ以外にも
ダスティン・ジョンソン、トミー・フリートウッド、
ジャスティン・ローズ、ジェイソン・デイ、
そして松山英樹などの実力者が、
トップ10にそろった事で、実証されたことになります。
もともと権威も歴史もある大会ですが、
4月のメジャー初戦「マスターズ」の前哨戦の意味合いも戻り、
選手たちの意識も昨年までとは違っていて、
緊迫感のある優勝争いでした。
昨年までこの大会は「マスターズ」と
6月「全米オープン」の間にある
ビッグトーナメントという位置づけでしたが、
選手にとっては「ザ・プレーヤーズ選手権」で
優勝すると5年の長期シードを獲得できます。
シード権については、メジャー大会より
上位に設定されているのです。
しかし「マスターズ」はやはり特別です。
次のビックイベントは
「WGCデルテクノロジーズ・マッチプレー」のため、
ビッグネームが揃うストローク戦では
「マスターズ」前の最後の試合でした。
春先に調子を上げた選手がグリーンジャケットを
手にするという近年の流れもあります。
「マスターズ」を制すれば「グランドスラム達成」となる
R・マキロイが、優勝会見に引き締まった表情で
臨んだことでも、この試合の重要性が分かります。
男子ゴルフの世界ランキングが発表され、R・マキロイが
2ランク上がり4位になりました。
J・トーマスが5位、B・デシャンボーが6位と、
ひとつずつ下がりましたが、1位のDジョンソン、
2位J・ローズ、3位B・ケプカまでは
変動がありませんでした。
大会を2位で終えた48歳のジム・フューリックは
110ランク浮上し57位に急上昇しています。
今季3度目のトップ10になる8位タイで大会を終えた
松山は5ランク浮上し24位。
予選落ちした小平智は4ランクダウンの65位、
日本勢3番手の今平周吾は71位となっていますが
「マスターズ」に参戦する3選手の活躍に期待しましょう。
国内ツアー第2戦「ヨコハマタイヤPRGRレディス」は、
国内でプレーする日本人選手の中では、
世界ランク最上位(31位)につける鈴木愛が、
久しぶりにその圧倒的な強さを見せつけました。
首位と2打差の3位タイから出ると、
5バーディ、1ボギーの「68」でプレー。
通算9アンダーで後続に4打の差をつけ、
昨年6月「ニチレイレディス」以来の
ツアー10勝目を挙げました。
最終組の1組前で「6アンダーで回れば勝てる」と
意気込んでのスタートでしたが、風速8.4m/sの中
「風の影響の少ない前半のうちに
3つか4つ伸ばしておきたかった」と
着実にスコアを伸ばします。
12番で3パットのボギーとしますが、
15番パー5で6mのパットを沈め優勝を手繰り寄せました。
最終18番の2打目をピン上2mにつけ、
初めてリーダーボードを確認したということですが
「あまり駆け引きは得意ではない。
自分らしいゴルフに徹した」と、
バーディパットを沈め今季初勝利を決めました。
2015年大会では李知姫にプレーオフ3ホール目で敗れ、
前年大会最終日はアン・ソンジュと、
3打差を追ってスタートした鈴木が、
通算11アンダーで並んでプレーオフに突入。
1ホール目をバーディとしたアン・ソンジュに
競り負けた苦い記憶があるだけに
「やっとこの大会で優勝できた」と、
笑顔を見せていました。
開幕戦では通算3オーバー55位とし、
29試合ぶりに予選落ちを喫していました。
ホールアウト後は「本当に悔しくて、
トイレに駆け込んで泣いた」といいます
「オフにやってきたことの意味がないかもしれない。
ゴルフが嫌になった」と土曜日に東京の自宅に戻ると、
ゴルフ中継を見ることもなく、クラブに触ることもなく、
動画サイトで好きなアーティストの
動画を見るなどして過ごしたそうです。
2017年の「賞金女王」は今回の勝利で
「メンタル的にも成長してきたし、
落ち着いてゴルフができるようになってきた」と
自信を取り戻しました。
今シーズンについては「5勝して賞金女王。
米ツアーのメジャーにも出たい」と語りましたが、
来年の「オリンピックランキング」を上昇させるためです。
その基準になる世界ランキングが発表され、
日本勢最高位の畑岡奈沙が順位を一つ上げて
自己ベストの5位になり、
メジャーでの優勝があれば、世界ランク1位も
可能なポジションにいます。
前週の出場試合はありませんでしたが、
平均ポイントでパク・インビを抜きました。
今季初勝利を挙げた鈴木愛が4ランク上げて27位となり、
比嘉真美子が一つ下げて42位で
日本人選手の3番手に続いています。
「オリンピック」の出場資格は
女子は2020年6月30日時点の
「オリンピックゴルフランキング」
上位15位までの選手で、
1位〜15位以内は1カ国につき4名まで、
15位以下は1カ国2名までとなっています。
メジャー大会でランクを上げれば
4名の出場も可能になりますが、
こらからの成績次第ですね。
競泳の池江璃花子選手が「白血病」であることを公表し、
日本全国に衝撃が走りました。
池江選手といえばバタフライなど
個人で競泳5種目の日本記録保持者で、
昨年のアジア大会では6冠を達成、
2020年の東京オリンピックでは
金メダル候補の筆頭と言われていました。
本人のツイッターへの書き込みは、
同じ病気を持つ人々を率いる勇者のような
風格を感じさせるものでした。
それでも、治療開始後と思われる
「しんどいです」「でも負けたくない」といった
ツイートを目にすると、胸がつぶれる思いがしました。
自らを鼓舞するように闘病を公表する人もいれば、
他人に病名を知られたくない、
激励されるのも遠慮したい、
と思う人もいますが
「これが正解」という接し方は見つけにくいものです。
国の期待を背負い、
ある意味いろんなものを犠牲にしながら、
期待に応えるため、苦しい努力をして、
あと1年でオリンピック代表を掴める
とこまで来ていた段階での離脱は悔しかったことでしょう。
家族は全面的にバックアップをしてきているはずです。
小さい頃から「水泳の道」に行かせて、
そして成績を残したことで、
我が子でありながら我が子でない様な、
大きな期待を抱かせてくれる存在となってくれたのです。
水泳選手としてここまで来るのには、
普通の親以上に苦労しているはずで、
それを思うと辛くなります。
池江選手はツイッターで
「神様は乗り越えられない壁は与えない、
乗り越えてみせます。そして他の水泳選手、
スポーツ選手の支援もお願いします。
私は応援する側に一旦まわります」と、
その強い意思を表現しました。
今まで鍛えてきてるので、
体力的なものは素晴らしく、
病気との闘いにも
勝機を見い出してくれることを祈ります。
治療が優先ですが、その結果、
来年の東京五輪に間に合えば、
拍手を送りましょう。間に合わなくても、
復帰を温かく見守り、エールを贈りましょう。
オリンピック出場を目指す他競技の選手達も、
池江選手と同じ想いで、
自分の競技に真摯に取り組んで欲しいものです。